「触れるような状態だったんですか?」

 瀬戸内寂聴と鎌田實の対談番組を見ました。
 その中で、鎌田さんが診療する病院に通院している患者さんで、鎌田さんのおちんちんを触らないと帰らないおばあちゃんのエピソードが紹介されていました。
 その番組は平日の午前中に放映されていたんですけど、「朝っぱらからすげえ内容だな」と思っていたところ、そこは瀬戸内寂聴名うての対話者、「それで(鎌田さんのおちんちんは)触れるような状態だったんですか?」と聞いてくるんですよ。さすがに鎌田さんは苦笑い、「若い頃は……」と口ごもっていらっしゃいました。
 この話で興味深いのは、たまたま鎌田さんが出張中で診れなくて、代わりの医師がそのおばあちゃんを診察したところ、直後に心筋梗塞を起こして入院しちゃったというんですよ。もちろんその医師はおちんちんを触らせなかった。
 最近はさすがにアレなので太ももあたりに触ってもらってるそうなんですが。医療というものは、神妙な面持ちで技術論や精神論を語る前に、鼻くそをほじったりオナニーをするのと同じ軸にある生身の人間論なんだなあということを、なんとなく思ったのでした。
 食事をする。排泄をする。睡眠だってとる。けれど病院でセックスをすることがひどく背徳的で、度を越えて淫猥なイメージがつきまとってしまうのは、医療というものが、人間に救いの手を差し伸べる超自然的・宗教的恩恵、ゆえに神聖で敬われなければならないもの、決して侮辱するようなことをしてはならないという風に捉えて、感じてしまうのを拭えないからでしょう。
 いのちを救う医療というものは本当に素晴らしい。けれどそれ以上に、より普遍的に僕らは日々を、いのちを生きている。それこそ奇跡の名にふさわしい。そしてこの奇跡は、食事と、排泄と、睡眠と、性によって根こそぎ構成されています。そうであるなら、もっと性を意識した医療があってもいいんじゃないかと思ってしまうんです。きっと見当違いなことを言ってるんでしょうけどね。
 方法論を欠いた理想論に過ぎません。けれど、インフォームドコンセントとか、第三者機関によるADR(裁判外紛争解決)など難しいことを検討する前に、医療というものが生身の人間論へと、より率直に"降りて"ゆくべきなんだろうと思うのです。
 子どもの頃に読んだ少女マンガに、女の子に触れるだけで全身の性感帯を刺激することができる超能力をもち、相談と称して毎日何人もの少女たちを気持ちよくさせているナイーヴ系のイケメンが登場する話がありました。
 ひょんなことから彼に気に入られてしまった主人公の女の子は、恋愛の悩みをそのイケメンに相談し、その手を握られて恍惚な心地にさせられかけたところを、悩んでいる対象であるところのぶっきらぼう系のイケメンに助けられるという展開なんですが。
 助ける? 大きなお世話だ、というかジャマするなよ。気持ちいいならもっと気持ちよくさせときゃいいだろうが。手を握ってるだけで、何も処女膜が破れるわけでもあるまいし、よがっている彼女を傍で鑑賞していればいいだろう。などと当時の僕は憤慨したものです。
 まあ、好きな女の子のあられもない表情を自分以外の男に見られたくないという気持ちも、今となってはよくわかるんですが。
 とにかくこのときの怒りこそ、僕が小児科医を志す原動力になった……わけがありません僕は医者じゃありませんお医者さんごっこならしてみたいけど! もちろん幼女限定で、あー女子高生までなら診てもいいけど。女子大生・幼な妻応相談。ただしおちんちんを触ってくるおばあちゃんは診療拒否ですよ。