「一本の鉛筆」(美空ひばり)

 「人間のいのち」。
 キーボードで打ち込んだその言葉、従っている意味は、まるで戦争とかで背景の一部としてさらりと失われてゆく数知れないそれのようで。なんていう軽さだろうかと不意に震撼されられます。
 "人間のいのち"。
 代わって紙にえんぴつで書いてみる。裏地を見るとずっしり浮かび上がっていたりするそれは、なんていう重さだろうかと驚愕せずにはいられません。
 文字とは、言葉とは、つくづく"書く"べきものだと僕は思う。ボールペンでも良いけれど、あれは効率的過ぎて、匂いいうものがないのがいけない。意味とは、一角ずつ指から伝わる組み立て上がる重量比100%のありのままを咀嚼できるえんぴつでこそ、ようやく"てい"を為すもの。
 今後も僕らは、パソコンなどという箱っぽちを枢要な入力メゾッドとして活用していくつもりならば、早くキーボードという様式から離れ、えんぴつという入力機器を開発すべきだと思います。
 握って、突き付けて、つづり、見て、嗅ぐ。言葉とは、意味とは、このように五感で把握すべきものなのです。そうでもしなければ、言説というものの何をどうやって信じられるというのか。人々は。
 ――ペンは剣より強し。
 しかしそのペンとやらは、筆圧を込めなければ自らに意味をなしがたい、筆圧を感じなければ他者は意味を見出しがたい。あえて下敷きを敷かず裏地にくっきりと浮かび上がる鉛色に、僕らは真実を見出しやすく、鉛筆の芯を舐めてみるとき、真実を味わいやすい。
 安易と言うか?それでもいい。僕はそれを"やさしい"と、心して言い換えてしまうでしょうから。