環境問題とよいしょ兄さん

 最近、自宅近くのスーパーが営業時間を30分短くして、夜は早く閉めるようになった。環境問題を考えてのことだという。こうした姿勢に感心させられた。
 店側もただお客に喜ばれるサービスばかり考えることは見直すべきではないだろうか。地球温暖化が色々と言われている今、環境に配慮する視点を持って欲しいものだ。
 もちろん、私たち消費者も、便利さばかりを求めるような意識を変えなければならない。(読売新聞)

 僕がよく利用しているスーパーも、環境問題に配慮して閉店時間が23時から21時30分に変更になったんですよ、先月から。
 元々夜行性の人間で、閉店ギリギリに突入して残り物の割引かれた惣菜を買うのが好きだった僕にとっては、この配慮は結構いたい。痛いといっても、どこぞの毒瓶のように失明の危険はないけれども。
 閉店時間を知らせる放送が流れても店内は客でごった返していて(というより駆け込み効果かむしろ増加している)、週末とはいえ駐車場も全然空かないし、閑散とした店内を自由にうろつくのが好きだったのに、そんな愉悦はもはや望むべくもありません。
 それに引き換え、平凡な商品しか置いてないし安くもないスーパーは24時間営業でいつ行っても客はなく、ホワイトデー当日の朝にお返しのお菓子をと買いに行ったら「売り切れ」だという。なんというか、怒りを通り越してあきれてしまったよ……。
 ところで。
 閉店時間が21時30分に早まった方のスーパーに、お気に入りのレジ員さんがいます。いや、僕のお気に入りだからといって、どう見ても幼稚園児の女子高校生バイトでエプロンの下は制服だとかそういうのではなく、普通のお兄ちゃん。大学生くらいの、イケメンというかちょっとかわいい感じ。いやいやいや、趣旨変えしたわけでもないですよ。
 そのお兄さんのレジの仕方が非常に面白いんです。
 一品一品バーコードを通すときに値段を言う丁寧な店員さんは、たまにいますけどね。彼の場合、値段を言う前、品物を手に取る時にいちいち「失礼致します」と付けるんですよ。つまり繋げるとですね、「失礼致します、129円、失礼致します、59円、失礼致します……」と、こんな感じ。
 しかもその店員さんは手際がすごくいいので、ほいほいほいと商品をかごに移していく。だから実際は「失礼致します129円失礼致します59円失礼致します389円失礼致します256円失礼致します……」と、切れ目ないマシンガンのような口上。
 いったいいつ息継ぎするんだろうなどと不思議に思っていると、彼は息継ぎというか、かごに容易に移せないような大きい商品を取った際、ちょっと小声で、
 「よいしょ」
 とつぶやくんですよ。これがね、すごい萌える。
 重いわけでもあるまいに、まるで思いがけない「よいしょ」という彼の場違いなつぶやきが、スーパーのレジというキャベツの葉っぱ然とした領域をメルヘン空間へとまたたく間にトラスンフォーム、場の空気が僕をして「ママーこの飴もう舐めてもいいー?」とねだるよう仕向けるのを抑えつけるのに一苦労です。
 なんというカオス。なんというミラクル。
 つまり全部を繋げると、「失礼致します129円失礼致します59円失礼致します154円よいしょ、失礼致します389円失礼致します256円よいしょ、失礼致します98円失礼致します138円失礼致します210円よいしょ、失礼致します……」
 そして、全ての商品を移し終えたとき、これは同時にキメ台詞の意味もあるんだぜ的威厳を帯びて、
 「合計で2890円になります、よいしょ」
 ああもうっ、意地悪っ。完全にノックダウンであります。「お釣りはいらねぇマイブラザー」と肩を抱きしめあってbyebye(しません)。ましてや、僕から受け取った金額をレジに入力し間違えたときの"はにかみ"ようときたら、僕は大王の位を与えたい。それではにかみ国を立派に統べてくれ。
 環境問題への配慮で営業時間が短縮したって、安く仕入れられなくなったからと「赤いきつね」と「緑のたぬき」を扱わなくなったって、刺身は安いけど水っぽくて不味くたって、いつ行っても同じ商品ばかりで"新商品"という概念が欠落していたって、僕はあの"よいしょ兄さん"がレジにいる限り、このすば、すば、すば、素晴らしいスーパーに通い続けることを誓うものでありますよいしょ。