千葉紀梨乃と、やさしいフィクション

 結局、「バンブーブレード」はやさしいアニメだったなあ。
 僕はこのアニメを、石川虎侍(コジロー)に感情移入しながら見ていたんですが。
 25話でひっそり会場を去ろうとするコジローに気づいて、外まで追いかけてくれたり、26話(最終話)で晴れて顧問に復帰したコジローをとても熱烈に迎え入れてくれたりと。この物語の中ではどうしたっていちばんかわいらしく感じられる千葉紀梨乃が、コジローを慕ってくれているということが、僕にはとてもうれしく感じられます。
 それは、真っ正直に生きてると世の中辛いことばっかりだけど、それだけじゃあないんだぜ、決して捨てたもんじゃないんだぜ、そう慰めてくれているような気がして。
 紀梨乃が特に好きというわけでもないんだけど(すごく好きだけど!)、面を付けるのに髪を下ろした彼女がほろり涙を流すシーンを、見るたびなぜか僕も泣けてきます。うれし泣きってやつです。
 先生とはいえ非常勤、いつも金がなくお腹を空かせ、まるで教師とは思えない無責任で適当な言動ばかりながら、生徒の心の機微には意外なほど敏感で、宮崎都の本性をいちばんに見抜いたり、バイトをするという川添珠姫のことを気にかけたり、東聡莉の事情を慮って(川添珠姫のときほど)強く勧誘しなかったりと、時折大人らしい配慮を見せたりもしました。
 だいたい頼りにならないくせに、そばにいるとなぜか心強い、周りにとってはそんなキャラクターだったのでしょう。
 とはいえ、「女のコの真剣(ホンキ)魅せてあげる!」というキャッチフレーズにあるとおり、このアニメにとって、コジローに関する描写は実際それほど必要ないと思うんですよ。少なくとも、剣道部や部員が関わらないところで彼が何をしていようと、あんまりどうでもいい。
 なのに、実家に帰って両親が経営するコンビニの手伝いをし、実社会の厳しさと親のありがたみを知るというエピソードや、あまりといえばあんまりな理由、剣道部顧問としての実績や適性によってではなく職を追われることになってしまうなど。コジローの事情を掘り下げ、彼だけが巻き込まれる問題を扱ったものが意外とありました。
 つまるところそれは、コジローをただの剣道部顧問として部員生徒との関係だけに終始させない、何よりもまず年齢相応のひとりの大人として立たせ、剣道少女たちのスポ魂物語とは別軸の、社会の容赦ない厳しさとか人生の理不尽さとか自分が悪いわけではない責任の取り方とか、熱血では済まされない現実を"生かされて"いるということ。
 彼が担わされたドラマは、ずいぶん短兵急に誇張された虚構に過ぎない、しょせん子どもだましだけど、少なくともそのご都合主義は甘くはないんだということが、僕にとってはけっこう衝撃的で。身につまされる部分もあり、そういう快くない部分より共感することができると、感情移入をワンランクアップさせます。
 キャラデザ的にそれほどカッコよくないというのも大きいですね。
 そのうえで、しいていうなら、ほとんどの事柄が洒落っぽい生半な現実を適当に生きているコジローが、美少女たちの剣道という洒落どころか完全無欠のドリームを精神的に象徴しさえしている千葉紀梨乃に、軽蔑されるどころか、好意を寄せられているということが、何よりも有り難い。まさに僥倖です。
 「これでいいのか?」「いいんだ」「そうか、ありがとう――」
 フィクションというものは、できれば人にやさしいほうがいいです。たまに、デレデレ鑑賞している人を見下すようなフィクションがあるけれど、それはそれで演出的にはアリなんだろうけど、やっぱり、鑑賞し終わった後々までずっと好きでいられる作品は、やさしいフィクションだと思うんですよね。
 フィクションに甘えて何が悪い。
 「バンブーブレード」。僕の好きなアニメがひとつ増えました。ありがとうございます。
 第二期があるかもですか? それは楽しみ。もちろんコジロー×千葉紀梨乃的な意味でですけどね。