アニメを繰り返し見ることと、ファンディスク

 僕という人間は、好きなアニメを繰り返しよく見ます。
 HDDレコーダーが壊れてアニメの録画が出来なくなって以来特に、その傾向が強まっています。
 元々外食するのはそんなに好きではないし、家で幾度となく食べてきた、美味しいことがわかっているメニューを今も美味しく食べるということが、僕は好きなんです。
 僕がアニメを好むスタイルもそれと一緒。たぶん。
 アニメにしろギャルゲーにしろ、新しい作品に貪欲に食らいつき、限られた自分の人生という時間を、出来うる限り多くの数の作品を鑑賞するために費やしたいという考えの方をよく見かけます。そういった文脈で、最近「ファンディスクが制作されることによって、そのメーカーが生み出せる完全新作の数は減る」ということを述べられていた方がいました
 確かにそれは正論ではありますが、僕は眠ります。クリエイターの方たちも驚愕的に少ないながら眠るでしょう。そしてご飯は食べるしトイレにも行く、時には友だちと遊びに行ったり彼女とデートしたりすることもあるはずです。
 クリエイターや、メーカーが、完全新作という「意味あるもの」を生み出すためには、他者(ユーザー)には一見意味がないと思われるものの、しかし彼や会社にはかけがえのない意味を帯びたさまざまな日常や、儀式の執行が必要であり、それは彼と会社がそうあるために欠かせないものです。
 それは人間である限り誰もが同じ、労働条件や福利厚生が前提とする、最低限で最優先の事柄。クリエイターとかブランド名として称されている"それら"も、決して人間でないわけがないということを、忘れてはいけません。
 もちろん、ファンディスク制作がそういう生理現象や楽しみ、儀式を象徴するものかどうか僕には分かりませんよ。また、ファンディスクなど製作しないでひたすら新作の製作に取り組むほうが、ある性質のクリエイターの成長にとっては効果があるというケースは容易に想像できます。
 あるいは、ファンディスク製作やイベントグッズ開発など、作品制作における谷間の"遊び"(アクセルの踏みしろ的な意味での)があることで、斬新な企画が発想されやすい素地が生まれるんだというクリエイターの方もおられるでしょう。
 結局はクリエイター個人の性質という次元の話であり、会社独自の経営スタイルという次元の話。ましてや、ファンディスクが手堅く稼げるアイテムだというのならば、それは次回作にかけられる資金が増すということであり、ゆとりある人件費はスタッフの地力を向上させ、少なくともクオリティにとってマイナスにはならないでしょう。
 それでもやはり、ファンディスクを作る余裕があるなら完全新作に意を注いで欲しいとユーザーが思うのは、もはやクリエイターやスタッフが目指すべきもの、表現し、伝えようとしていること(テーマ・意識)のレベルなんてどうでもいいから、機械のようにひたすら新作を作ってくれということに他なりません。つまるところそれは、作品として担保されるクリエイティブそのものを否定していることになります。
 ギャルゲーは商品である前に、作品なのですから。ちょっと待ってよと。
 「ファンディスクが制作されることによって、そのメーカーが生み出せる完全新作の数は減る」、だから云々という考え方は、僕としてはちょっと引いてしまう潔癖さ、人生観としてはそれでいいのかもしれませんが、妙に他人に押し付けているような節もあり、なんか嫌なんですよね。トイレの時間に英単語を覚えることをしなかったから、不本意な大学生活を強いられたと僕は悔やみたくない。
 得られるものは、失われるものとの"交渉結果"であって、ひとつの名作と出会えたなら、ふたつの名作を望んではいけないんだと思うんです。まあ実際問題、作品を数として考えるのは仕方ないけれど、数をこなすのを善しとするような態度は、それをおおっぴらに表明するのは、なんというか、価値がない。
 だいたい僕は、ブランドという文脈で個々の作品を捉えたり、ブランドのファンだからという動機で作品をプレイするというのも、実は理解できません。
 keyでいえば、「ONE」は墓まで持っていきたい名作だと思うけど、「KANON」は恐ろしくくだらない、何もかもが阿呆過ぎ。「AIR」は超感動したけど、「リトルバスターズ」なんて食指も動きやしません。
 結局、どのブランドだろうが、かのクリエイターだろうが、各々作品は独立して存在していて、ユーザーはその都度新たに対峙する。だから、人生という時間を物量的に惜しく思うのならば、「私は貴方たちブランドのファンだから貴方たち、もっとコンスタントに作品を作りなさいよ」と文句言う暇があるなら、何の脈絡もない他の作品を寝る間も惜しんでプレイすればいい。そうじゃないですかね。
 というか、ファンディスクと呼べるものなんて僕は「NAKED BLUE」しか持ってませんけど。僕が好きになった作品はどうしてか、ファンディスクとは縁遠いものばかりで。本当、どうしてだろう……。
 それなのに、ファンディスクというのは、実は僕のような、好きなアニメを繰り返しよく見ることを善しとする性質のギャルゲーファンにジャストフィットするスタイルなのではないかと思ったりします。
 いくら気に入っているとはいえ、一度クリアしたギャルゲーをまた最初からプレイする気にはなかなかなれません。いくらなんでもプレイ時間がかかりすぎる。
 そういうとき、世界観も登場人物も同じで、けれどシナリオはちょっと違うんだよという、ファンディスクが示す折衷案を、もっともスムーズに受け入れることのできることのできるのが、僕のような人間なのではないかと思うのです。
 好きなアニメを、お酒を飲みながら鑑賞するようなものだと。ファンディスクについてそう思います。
 細部をいちいち評価する必要のないくつろぎと、この先の展開を気に揉む意味のない安心感。そんな心地よくも緩みきったまったり感は、面白いシーンをより面白くし、感動的なシーンをより感動させます。
 せいぜい25分程度の尺で安っぽい感動を提供してくれるアニメーションを、安い酒で酔っぱらった自分が、焦点の合わない瞳で眺めながらぼろぼろ涙を流している。そういうのが、僕の身の丈にあったエンターテイメントだと、思うわけです。