「好き」について考えてゆくということ

 音楽が時間芸術だというときに含意されることはいろいろあるのだろうけど、一つにはそれが一方向に流れる不可逆のものであり、今ここでそれを聴く自分に対して、後戻りできない形で「必死に」現前してくるということがあるだろう。選択肢があったりバックログがあったりするとはいえ、エロゲーも基本的には同じである。途中でセーブをして中断したりしたって、再開すればそれはテンポよく進む物語であり、その直線的な進行の中で、ヒロインたちは「必死に」現前してくる。ゲームを起動するたびに僕は物語に入り込み、彼女たちの運命に立ち会う。それが単なる抽象された文字情報ではなく「現前する」ことを音楽や声や絵が教えてくれる。(from オネミリエの出島さん)

 僕がdaktilさんのギャルゲーテキストに親近感を覚えてしまうのは、そのギャルゲーをプレイすることで、「僕」がどうなっているのか、どうあるのかということについて率直に語っているからです。少なくとも僕にはそう思える。それはつまり、僕もそうありたいと望んでいるからです。
 ネットにたくさん転がっているその手のテキストを読んでいると、「これは批評だ」「解釈だ」という言い訳で書き手の存在感(つまり己ということ)が意図的に希薄化されているような印象を受けてしまう。貴方という存在が人称を逸脱して酷く客体化しているんです。
 けれど僕はかたくなに感覚してしまう。そのギャルゲーを今まさにプレイしているのはこの「僕」以外の何者でもないんだ、という意識をテキストを介して読み手に連絡できなければ、それはなんて虚しい表現なんだろうかと。
 ――まあ、そういう話はキリがないんで置いておいて。
 僕がこのエントリーを読んで思い出したのは、「さくらむすび」でした。
 僕はこの作品を、まず音楽から入ったんですよ。
 いつぞやの冬コミで、カレンダーとサウンドトラックのセットが(コミケとは思えないという意味で)お得な価格で頒布されていて、まず何よりカレンダーの執筆(?)陣がすごいハイクオリティで、サントラCDのほうもピアノをメインに据えた音楽・生演奏ということでジャスト僕の好み。
 まあ、カレンダーでヒロインのおでこに筋が入っちゃってて販売後交換だとかいわく付きになってしまったけれど。それでも「さくらむすび」のサウンドトラックは、インストゥルメンタルとしてたっぷり好いもので。ゲーム本編をプレイする時点で既に、ほとほと繰り返し聴き尽くしていたのでした。
 で。その後ゲーム本編に手を出した僕のそのときの感慨を、今になってようやく合点がいったのです。僕にとっては「さくらむすび」のゲーム本編こそが、"ファンディスク"だったのだなと。
 飽きもせず毎日あたためられてきた、この穏やかでゆるやかな旋律に、「さくらむすび」という世界と、物語と、ヒロインたちのたたずまいを瑞々しいまでに想像(創造)してきた。まさにそれはdaktilさんがおっしゃっている、ヒロインたちを「今ここでそれを聴く自分に対して、後戻りできない形で「必死に」現前」させてきたということなのでしょう。
 つまるところ、僕にとって「さくらむすび」のゲーム本編は、音楽のアナザーストーリーであり、主題の別解釈であり、旋律のふとした陰影。「そういうことだったのか」という納得ではなく、あくまで「そういうのもアリかもね」という承認なのです。偉そうな話ですが。
 ファンディスクがどうあるべきかという議論よりも、自分にとってファンディスクとはなんなのかという内省のほうが、より本質に近づけるとみるべきでしょう。それはもちろん、グッズや同人誌のように市販され意図して自ら欲するものだったり、意図せず与えられ気づかされるというようなものであったりもするでしょう。
 必然と、偶然とを織り交ぜて、「好き」(ファン)という内容(ディスク)をクリエイティブする伸びしろとして、詰めの甘さとか隙とか意地悪めに表現してもいい、ギャルゲーというものが宿命的に抱えているそれら諸事情が、はたまたプレイヤー各々に恣な夢の引導を渡しているということも、それはそれで素晴らしいことではないかなと思ったりするのです。
 最後に。
 本当に好きな作品なら、ギャルゲーだって、プレイ時間がかかりすぎるからといったって、"再放送"してもいいんだということを付け加えておきたいと思います。僕だって本当に好きな「ONE〜永遠の輝き〜」や、「TALK to TALK」のいくつかのシナリオなどは、これまで何度となく繰り返しプレイしてきましたから。
 僕は、効率良くなんて生きられない。無駄なくなるべく多くの良い作品に触れたいなんて、望んだとしても叶わないことだとわかっている。人生とはつまるところ、「それでも」か、「それなら」かでしかなく。共通項としての意味を定義するとしたら、それは「『好き』について考えてゆく」ということ。だからこそ、メーカーが制作したファンディスクというものは、やさしくて、おせっかいなんです。
 とはいえ、彼らの豊かな想いにケチをつけたくはないよね。