そして、Ever 17における"ブリックヴィンケルさん"

 そして、話は本題である「Ever 17-the out of infinity-」に至る。この作品は数々の禁忌を犯してしまった。別に田中優清春香奈の所業がどうとか言っているのではなく、プレイヤー視点の取り扱いに関してである。この作品のネタを一言で表してしまえば、大掛かりな仕掛けを使ってプレイヤーを"騙し"、主人公から"引き剥がし"、事情を説明してプレイヤーを"けしかけ"、プレイヤーにしか助けられないとある人たちを助けてもらおうというお話である。この際だけどこれらの開いた口が塞がらないばかりか顎の骨が外れそうな勢いの実現不可能性についてあげつらうような事はしない。2017年と全く同じテーマパークを2034年に建設するとか、2017年のやりとりをそっくり全く同じに別の人物が繰り返すとか…。例えるなら、フィクションという大義の刃を片手にテレビ画面から上半身を乗り出して、ポカンとコントローラーを握ってる僕らプレイヤーに切りかかってくる田中優清春香奈の、鬼のような形相がすげえリアリティーをもっているようなトンデモナサである。あまりにもアホらしいというか、くだらないというか…。でも"プレイヤー騙し"方法論についていちいち疑問を差し挟んでいたら話が進まないので、ここでは設定として大目に見るしかない。

 ともかくこの作品が犯した、プレイヤー視点の取り扱いに対する"誠実さ"を欠いた原因を上げると、以下のとおりになる。

①演出ではなく物語の一部としてプレイヤーの視点を、登場人物の打算的意志に基づいて取り込もうとしたこと。

②プレイヤー視点・プレイヤー自身であるはずなのに一個の個性をもってしゃべり、存在してること。

③プレイヤー視点(とその存在)を"ブリックヴィンケルさん"と名づけてしまった時点で、それはプレイヤーのものではなくなっている。

④四次元存在であるとされたプレイヤーなのに実際は"ブリックヴィンケルさん"の意志で時空間を移動させられているだけ。

⑤そもそもブリックヴィンケルさんのキャラクターがあまりにもギャグっぽい。

 この作品において明確的に捕捉しようとしたプレイヤー視点(とその存在)は、その中途半端で軽薄な方法論によって、プレイヤーから乖離して"新たな主人公"として存立し、プレイヤーに認識されてしまっているのである。ブリックヴィンケルさんはブリックヴィンケルさんであり、どんなに彼女らがプレイヤーを追い求めても、捕まえた瞬間その人は僕らプレイヤーではなくなってしまうのだ。このゲーム世界で確立された"第三視点理論"とやらをいくら実践しても、それは"元"プレイヤーが無限増殖するだけの話である。ブリックヴィンケルさんの兄弟が次々と誕生していくわけである。