苦痛に満ちた日々と、かみしめる幸せ

 確かに純物語的にみればそのトリックは大変衝撃的であり、大きな矛盾の中でではあるけれども数多くのシーン間では巧みに辻褄が合わせてあることが2ndプレイでは明らかになり、感心させられるし第一面白い。八神ココシナリオにおける倉成武視点と少年視点の意味を持った切り替え(構成)の巧さ。特にプレイヤー視点がブリックヴィンケルとして主人公から離れて独立すると、それ以降の主人公2人が物語の中で如実に生き生きとし始め、併せて主人公役の声優さんによる演技もそれ以降入るようになり、より感情移入が深められていく。通常の恋愛ゲームでは実質の主人公は相手方のヒロインであり、視点を借りている男方の主人公は形式的な存在に過ぎないのに対し、この物語の主人公は形式から生じ実質的な主人公となっていく、これはなんだかうれしい(例えて言うなら立派になった息子を見るような)。悲劇的であった小町つぐみシナリオを救済する形で物語が進み、倉成武の演技入りで小町つぐみシナリオの終盤が再現され、その上であのラストの大団円とは、さすがKIDといったところだ。

 この作品がプレイヤー視点(とその存在)を"物語上のフィクション"として捉え、取り込み、描くことによって生み出すことのできた多くの"素晴らしいもの"は、八神ココシナリオに全て詰め込まれており、いちKIDファンとして正直文句はないくらい感動したし満足もしている。普通のプレイヤーなら八神ココ以外のシナリオをクリアするのに要する30時間弱分もの報われなさ・不満に匙を投げてしまいそうだが、断言してもいい、そもそも普通のプレイヤーならKIDのギャルゲーはプレイしない。KIDのギャルゲーはKIDのファンしかプレイしないのだから、プレイ時間30時間弱分・ヒロイン4人分のバッド(ノーマル)エンドを経なければ唯一にして至高のハッピーエンドに辿り着けないという点は、欠点というよりむしろ長所であり、そういう次元を通り越して、ファンにとっては"望む所"であるはずだ。きしくもエピローグで小町つぐみ嬢が語っている、

『私は幸せをかみしめている。浸っている。溺れている。酔っている。---それが私の正直な気持ち。もしかしたら、これまでの苦痛に満ちた日々は、今日、この瞬間の為だけに存在したのではないかと・・・・・そんな気さえした。』

 これはまさしくプレイヤー自身にも当てはまる言葉だろう。まぁゲーム制作者側が意図的に語らせているのだから多少腹も立ちそうなところだが、しかし事実なのだから仕方がない。