総括-矮小化したテーマ性に巣食うチグハグな違和感・湧き上がる不本意な訝しさ

 深月遙編で触れたように、ヒロインがこの世界から消えるという信じがたい悲劇を、「ONE2〜永遠の約束〜」は、思い出としてではなく童話としてでもなく、主人公のごく身の回りで起こる現実として、それはあたかも"世界そのもの"を患部にした悪性の癌であるかのように生々しく描こうとしている。しかし彼女の病気が世界そのものを病むものであるにもかかわらず、世界から彼女が少しずつ忘れ去られていくという症状は十分に描かれず、予定調和のごとく人々の記憶から彼女の存在が排斥されていくという悲劇性は、主人公とヒロインのふたりだけという最小の世界に固執したストーリー展開によっては到底見出しえない。
 愛するヒロインを失うことになる主人公の痛切な哀しみも、ヒロインと二人だけの狭隘な世界のもと一人称視点でいくら声高に叫ばれても、ヒロインがこの世界に絶望し、運命として受け入れ静かに消えていく以上、独りよがりの域を脱しえないし、そもそも「"それでも彼はこの世界にとどまっているのだから"、それは大した不幸でもないんじゃないの?」という痛烈な切り反しも可能なのだ。
 また、ヒロインがこの世界に帰ってくる・主人公のもとに戻ってくるという感動は、ありえない悲劇的な別れを経てもゲーム的に大きな転機を用意するわけでもなく、ただ小手先のテキストで申し訳程度に寂しそうな主人公を描くという起伏のなさ、再会後即ベッドインかよ!という余韻のなさも手伝い矮小化。元々ヒロインが主人公を愛しつつもこの世界から消えていったうえ、この世界へ帰ってくるにしても、その心境変化なり彼女側の描写が一切ないままひょっこり帰ってこられてもなぁ…といったある種の"寒さ"、主人公自身ではない、ヒロイン(他者=非プレイヤー)が消えていったということに対する拭い切れない受け入れ難さ、はたまた主人公自身に対してプレイヤーのうちでわだかまっているある種の女々しさ、それらの主人公・ヒロイン双方に絡まるチグハグな違和感が、再会の感動を損ない、代わりに不本意な訝しさを僕らに与えてしまっているのではないだろうか。
 例えば、PS「EVE The lost one」のSNAKE側視点で見られたような、主人公がプレイヤーの存在(一人称視点)と介入を拒絶し放逐するといったゲーム独自の演出方法で、ヒロインを失う主人公の心痛とふたりの絆の隔絶の深刻さを大きな転換として表現するというのはどうだろうか。三人称視点で主人公の閉ざされた日常を切々と描いていく、哀しみに沈んでいる彼の翳の部分に惹かれて想いを寄せてくる女の子とのやり取りなど、彼の喪失感に塞がれた日々を1つの編として独立させることで、ヒロインとの再会を物語的にさらに盛り上げることも効果的だ。
 こちら側の世界でない、無の世界を漂うヒロイン側の物語を、主人公側の描写と有機的に結合させ、互いに影響し合うことでついに再会が叶った暁にこそ、不安定だった視点は、主人公の一人称視点に”帰る”ことができ(むろんヒロインの一人称視点だって構わない)、感動的な余韻を余すことなく彼(彼女)自身がプレイヤーに伝えてくれる。そういった物語・ゲーム両軸における転換と余韻を創造する余地は、いくらでもあったはずだ。そういった意味で深月遙編は、「ONE2〜永遠の約束〜」のいくつかの致命的な欠点と、その秘めたる可能性を全て包含した、意義のあるシナリオであったということができるのかもしれない。