雨の意味するもの

 雨というものは、性質的に世界を閉鎖する。雨音は他の音を消し去り、雨雫は他者との関係を拒絶し、雨雲は太陽光を遮断し、雨色は世界のカラフルを無効にする。閉じられた雨の世界。それが劇中、主人公のそのときの感情や心境によって雨音や雨勢を変化させていることがわかる。そして主人公が演奏することのできるフォルテールという特殊な楽器は、奏者の感情や心境といったメンタルなものを"魔力"によって注ぐことで音色を変えていく楽器であるらしい。
 主人公は自らの感情や心境によって、雨によって閉ざされた世界の内でフォルテールを奏で、世界を閉じている雨という交響楽団に向けて指揮棒を振るい、重厚なフォルテール協奏曲を変幻自在に演奏している。このように概念的な意味合いで、「シンフォニック=レイン」という作品はその名に相応しく、極めて音楽的なのである。
 内と外に向けられた彼の音楽は、うちひしがれた哀しみの叫び。外へ向けられるその調べは物語に吸収され、内へ向けられるその調べは、卒業演奏のパートナーであるヒロインに、同じく吸い込まれるように聴かれていく。まさに主人公の音楽が物語を形作り、主人公の音楽が言葉となって、ヒロインに自らの哀しみと想いを告白しているのだ。
 主人公もまた、ヒロインによって救われることを求めているのである。深い哀しみを湛えているからこそ評価されている彼の音楽性、束の間訪れた幸せな感情でフォルテールを演奏すると途端に魅力のない音楽となってしまう、残酷なパラドックスからの脱出を、祈るように。ファルシータ編のエピローグにおいて、それまで自らの夢のために主人公の音楽的才能の獲得のみを目指していたはずの彼女が、外では雨の降り続けるひっそりとした部屋で、一心にフォルテールを奏でる彼を抱きしめて言う。
 「愛してる、クリス。あなたも、あなたの奏でるフォルテールの音も」
 社会的に大成功を収めているファルシータの晴れ姿を描写するのではない、かといって残酷なパラドックスから開放された主人公を描くのでもない、そのパラドックスごと、ふたりの哀しみごと包み込むようなぬくもり。非現実的で妄想的なハッピーエンドを仕立て上げるではなく、ありのままであることの温かさと、人間的な美しさを感じさせるエンディングに、なんとも大人の深い味わいを感じた。そうそう世の中、メルヘンのような奇跡など起こりはしないのだ。