ブログという「情報の流れが見える道具」

 Musical Baton。最初は僕も他の人に回す気はなくて、でもご無沙汰の挨拶もかねて試しに回してみたら上手くいって、調子に乗って他の2人の知り合いにも回してみたんです。そうしたら、2人揃って「チェーンメールみたいですね」「チェーンメールじゃないですか」とレスされてしまい、ちょっとせつなくなりました…。
 調子に乗って慣れないことはするものじゃないですなぁ。
 そういえば、ゆり☆にゅーすせかんどさんの6/20付の記事を読んで、うちも昔エロしりとりなんてものに参加したっけなーと思い出し、思い出し恥ずかしがってしまいました。ああ、やっぱり恥ずかしい…(下書きが残ってた)。
 あの頃の僕と森の十字路こそまさに調子に乗っていたわけで。今はどうなんだよと言われるとちょっち辛いけれど。
 Musical Batonについて。僕が巡回しているwebではずいぶん景気よく回っていて、いつかうちにも回ってくるのかなと、なんとなく覚悟はしていたのですよ実は。そういうわけで、僕の知っているネットが、必ずしも他の人のネットと同じではないのだという当たり前のことを確認したのでした。


 ブログなんてテキストサイトの1フォーマットに過ぎないと僕も思っていたのですが、7年か、ネットでweb活動をしてきて、森の十字路が〜伝説になる前と後とで、僕の心理を比較してみると、ネットの"空気"の迫り方が違うというんでしょうか。ブログは、横の繋がりを必然化させるメディアではないかと思うのです。
 うちがニュースサイトをやっていた頃は、それこそ自分が欲する情報を提供してくれるwebを巡回し、最後に「俺ニュース」をチェックするでだけで、事足りていました。うちが取り上げたりネタ化したニュースに対する他のwebのリアクションは、正直それほど重要な関心事ではなく、横の繋がりは選択可能なひとつのネットコミュニケート遊具に過ぎませんでした。
 たまにある意図をこめて特定の(縁もゆかりもない)webにメッセージを送って、そのリアクションに楽しみを見出したりする、ある程度のアクセス数を稼げるweb運営者にのみ可能な、他愛のない悪ふざけに利用するくらいの位置でしかありませんでした。(今は『トラックバック』というシステムが発明されて、あれは誰でも利用できる遊具になっています。びっくり)
 自分と自分のwebがネット世界の中心、自分の得たり欲したりする情報は、あくまで僕のネット世界の一部として存在していて、恣意的に切り取って自分の身体に縫いつける、まるで編み目模様のように。「自己をいかに着飾り注目を浴びるか」という戦略的目標が、僕に関するネット上の全てを成り立たせていたように思います。
 けれども、ブログという媒体に自らのwebを乗せてみて分かるのは、横と繋がらなければならないという焦燥感のような、他のwebとの関係の中での自分のwebを意識せざるを得ない、ネット上の自分の存在とその境界線を希薄化させる無形の圧力が、すごく強い。情報の奔流。
 何をしていても、何もしていなくても、ブログという媒体に自分の発信性を委ねてしまうと、有無を言わさずこの空気に飲み込まれてしまう。その空気の中で、もがき苦しんでいる自分を見つけてしまいます。
 よく覚えてないんだけど、昔のドラえもんの映画に、「時間の流れが見える道具」を使ってのび太が突風のように流れ去る時間を体感するというシーンがあって、その道具こそがまさにブログ。
 僕がニュースサイトをやってた頃は、その当時はロリニュースというオリジナリティで売っていて(詳しくは知っている人だけ知っていてください、という意味での"伝説")、その独自性は他の誰にも真似できないと思っていました。僕が一番すごいと思っていました。
 閉鎖的で独善的な思い込みが、それでも通用してしまうweb間の隔絶さが、僕の人格を守る隔壁となっていました(そのオリジナリティがただ"凄かった"というだけなのかもしれませんけどね)。
 ブログは、かつてニュースサイトを切り分けていた、親→子→孫→ひ孫→(以下略)という上下関係をいっしょくたにしたうえで作り上げられた、いわば1つの大がかりな自由投稿型ニュースサイト。情報発信者と受信者とが作る長大な人間空気椅子の輪のように、個人間の"物理的"境界を越え、同じ高さで接がりあっています。腰をかがめ支えあっているわけです。
 そうして、自分の重みが誰に支えられているのか、自分の支えている重みが誰のものなのか、気にせずにはいられなくなる。思想的な知的好奇心にカモフラージュされたそれは、自分が何者なのかという疑問に答えを得るためにこそ、"どこまでも続く自分"<ブログ>のなかへと出かけてしまう。
 確かな結びつきと、自らへの疑問、繋がってゆく回答の先に、ネットを越えた現実の着地点<僕>。ブログとは、悪意をもって僕を本当の世界へと突き落とし、それでいて突風のなかで僕を繋ぎ止めてくれる、不可解なチェーンメールみたいなものかもしれません。


 まぁ、井の中の蛙を許さない雰囲気、というのが、僕の感じているブログというものを言い表すいちばん適当な言葉かも。
 ともかく。もうチェーンメール系の企画は、受けるのはともかく渡すのはコリゴリだ!というお話でした。