ゲームカセット、僕の宝物

本日付の朝刊の投書欄に、小3の息子がゲームカセットを入れた袋を失くしてしまったけれど、それを拾った女性がカセットに書いてあった名前を頼りに近隣の学校に問い合わせ、3校目でヒット、わざわざ学校まで届けに来てくれたという話が掲載されていました。
「子供さんの宝物でしょ。ちょっとおせっかいしたのよ」とその女性。その法外な優しさが洒落ていますね。
「ゲームカセット」という古びた言葉が鼻腔をくすぐってやまないノスタルジック。カセットは裏に名前を書くものだというお行儀のよさは漢字練習帳にびっしり詰まっているアレ。どんなに不良っぽいクラスメイトから借りたカセットにだって、裏を見れば油性マジックで名前が書かれていたものです。価値判断の差し挟まれる隙を母性的密着で塞がれたかのように、マス目いっぱい、当たり前なことという連帯感覚が、人間的な意味での道徳となっていくのでしょうね。
「ゲームソフト」という言葉は、どこか新聞記事的で商業主義的、嫌な大人側の無機質な匂いが立ち上がってきます。子供たちの宝物にはどこかなりきれません。けれどそれが(意味的に同じものであっても)「ゲームカセット」となると、一転してそのまま子供たちの宝物として脚光を浴びるように感じるのは、僕の所属する世代ゆえなのでしょうか。
ゲームカセットは大切に扱わなければなりませんでした。ファミコンに挿してから少しでも動かすとゲームが止まってしまうのですから、とても慎重にならざるを得ません。
高いおもちゃだから大切にするということ、ゲームをちゃんと遊ぶために大切にするということ。金銭感覚と、手肌(現実)感覚が、「ゲームが楽しい」という譲れない純粋を編み棒に織りなす、「ものは大切にしなければならない」という普遍的な気持ちが、貴いもの(宝物)として子供たち共通の夢を健全に育んでいったこと。
ゲーム(世界あるいは夢)がゲームカセット(僕の宝物)の中につまっているという(その一体性)のを体感できたことは、きっと、僕らの世代にとって大きな財産だったのではないかと思うのです。
中学の友達の家に遊びに行ったとき、彼はゲームカセットをばらして中の緑色のカードを何十枚も紐で留めて管理していました。その中から遊びたいゲームを抜き出して、ファミコンに挿して遊んだのですが。あれを初めて見たときの衝撃は今でも筆舌に尽くしがたいものがあって。
それは、なんというか、"幻想"のはずではなかったその幻想が、あらわにされると同時に一気に壊されたような。サンタクロースの存在は相当信じていなかったとしても、ゲームカセットの中に夢が入っているというのは頭のどこかで一途に信じていたのでした。
僕の持っていた「エレベーターアクション」と「影の伝説」のカセットには、ハサミで無理やりこじ開けようとしたような痕があります。傷痕はあるけれどもはっきり壊されてはいなくて。今となってはどうしてそんなことをしたのか(しようとしたのか)自分のことながらよくわかりません。でもそれが幼な心に淡い自傷行為だったのだろうなぁとは、思うときがあります。
真っ黒いゲームカセット。こじ開けようとしてきぃきぃ傷つけ、でも果たし遂げられることのなかった"ゲームカセット"。そこにはもはや、他人行儀な世界やお仕着せの夢ではない、ひどく自分っぽいどこかの何かが知らぬ間に流れこんでいて、繋がってしまっていて。
自らの内面が投影されていた、いや、事実それは詰まっていたんだと僕は思っています。だって、"僕自身では結局一度もこじ開けたことがないんだもの"。
「子供さんの宝物でしょ」
ゲームカセットが、ゲームソフトになって、ゲーム作品となっていく。僕の宝物だったものがどんどん抽象化していく。あいまいになっていく世界と、夢の手触り。ゲームカセットはむしろ触るべきものでした。頬にすりすりして、ベッドの枕元に置いて。大掃除の日には一本一本雑巾で拭いたりしたものです。
けれどゲームソフト(ゲーム作品)は(大半がCD-ROM化することによって)、触るべからざるものとなってしまいました。起動中だけではなく常時、傷がつくから、読み込まなくなるからという理由で触ることを禁止され、子供たちの好奇心と愛着心に満ちた手を拒絶しながら、そのくせその剥き出された銀色は、まばゆいばかりに、世界や夢がこの中にあるんだよという幸せな幻想を几帳面にデータ化してふんぞりかえっていやがります。
パッケージを開けるとそこにはCD-ROM。まるで中学のあの友達が世界の他人全てになり代わっていたかのように、僕はいつからかゲームを買っても(幻滅しこそすれ)ドキドキしなくなった理由を、彼のせいにしているのです。僕が年を取って"すれた"からじゃない、あいつが全部悪いんだど。トイレを借りたらそこに女性ヌードカレンダーが貼ってあったのが最悪だったのだと(実話)。
拝啓。お元気ですか長野君。