出産するリスク 妊娠させるフィーリング

自分の顔を鏡とかで見ていても、あんまり年を取ったようには感じられないのですが(元々ふけ顔だし、年とかどうでもよくなるくらい不細工だ)。同年齢の女性を見ると「ああ、この年だともうあんななんだなあ……」という感じで、年齢を実感してしまうというのは女性蔑視になるのでしょうかね。
ところで、柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言ですが。大臣としてはそれなりに失言で、言ってはいけないことを言ったということそれ自体がまずい。でもそれは謝れば済む問題だと思うなあ。認識を改めろと人は言うけれど、結局のところそういう認識が広くまかり通っている現実があるわけで。同じ認識を多くの人が持っていたからこそ、意味を共有していたからこそ、ワンフレーズだけで即座に喧々諤々の議論がわきおこったのでしょう。「女性は産むミノフスキー粒子だ」と発言されたら、誰だって「どういう意味だよ」となるはず。柳沢さんはそれなりに"やり手"のようですし、表現の"あや"がセンスないだけで辞任させるのは惜しい気がします。女性が産む機械だというのなら、そういう解釈にのっとって貴方は女性にいったい何をしてくれるのか、という説明責任と結果を求めたいところです。能無しの善人より有能な悪人をこそ政治の世界では求められますからね。
そもそも"あや"に過ぎないものにそこまで目くじら立てるのも大人気ないですよ。目くじら立てるのならまずそのワンフレーズの意味するところを即座に理解できた自分自身ではないのか。というよりこういうセンシィティブな解釈論を担ぎ上げ視聴率や勢力争いをするメディアや政治に踊らされるのは勘弁だなと、これが本音。「お前がそう思うのは悪だ」と誰が誰に言い出したところで、詮無きことではありませんかね。まあ、「女性は産む機械」ではなくて「女性は産む機会」とすれば、何にも問題なかっただろうに。
女性は自身に備わっている「産む機会」を利用する権利と、その機能を管理する義務を負っていて、決して女性は機会そのものではない。生理が始まる前や、終わった後、身体上の要因で利用できないとき、それは利用する機会がたまたま中止しているだけであって、機能を管理する義務からは免れられないし(中学生までは親の責任で管理する)、女性が女性であることは死するそのときまで変わりはない――という感じ。
男もねえ。射精か何かする100回に1回くらい酷い痛みを覚えたり、50万回に1回くらいどこかで人死にが出れば、もっと女性の妊娠・出産の危険性について、起動スイッチを押せば自動的に"ぽとり"と落ちてくる機械のようにはいかないということを理解することができるでしょうにね。男は自分の性があまりに楽ちんすぎる。だから女の性についても楽ちんに考えてしまうんです。精子を放り込んでしまえば、あとは結局のところ他人事。女性の性にまつわる不安は彼女だけのものであって、口では優しい慰めを言えたとしても、実感することはできないから、本当のところを理解できない。だから本音としてしばしば柳沢厚労相のようなうかつな発言をしてしまう。同世代の男性も少なからず同じような本音を抱えているようです。
これはもう、アレですね。出産するとき、力んでるときに女性は握るようにしたらいい、亭主のアレを。思いっきり、爪立ててもいいから。そうしたら絶対、男性は女性の出産についてうかつなことをいえなくなると思うなあ。性のことは、頭で理解できるものではないしするものでもないから、身体に覚えさせなきゃならないのですよ。男の性には先天的にリスクが少ないから、敢えて与えてやらなければならない。男と女が対等の立場で理解し合うことを第一義に考えた場合は、ね。