若者の間で吊り革握りのが大流行 ラッシュでは奪い合いも

 「席譲らない乗客 放送の工夫必要」を読み、今春から働き始めた子供を持つ友人のことを思い出した。
 彼女は10ヶ月の子供を抱いて電車で通勤し、勤務先近くの保育園に預けている。この2ヶ月間、一度も席を譲られたことがないそうだ。彼女は「10㌔の子供を抱き、おむつや着替え、タオルを入れたバッグを抱え、さらに自分の仕事のカバンも持つ。立ったままの通勤時間は地獄」と言う。
 彼女が座りたいのは、子供が重くて大変だからではないという。彼女は「電車の揺れに身体を支えきれず、何度も倒れそうになった。危険だから座りたい」と話す。
 彼女は、2人目の子供を産みたいと思っていた。だがこの現状では、一人の子供の手を握り、もう一人を抱いて通勤することになる。これでは無理だと出産を断念したという。
 私は今まで、お年寄りや妊婦さんは「大変だから」席を譲るのだと思っていた。間違いではないが、この論理では「サラリーマンの自分は疲れていて大変だ」などと理屈をつけ、席を譲らない自分の行為を肯定してしまいがちだ。
 鉄道会社には「お年寄りや妊婦は足もとが不安定で危険」というアナウンスを加えるなど、認識を高める工夫をしてもらいたい。 (6月○日読売新聞朝刊投稿欄)

お年寄りや妊婦は立っているのが大変だから座席を譲られなければならないという、善意に基づいた論理では、確かに一般の人にも「自分も今は疲れていて大変だから座席を譲れない」と、自己弁護を肯定しやすくするといえます。事実僕も仕事で疲れているとき座席にありつけたら、初老程度の人が目の前に立ったくらいではそうそう譲りはしないでしょう。
その点、お年寄りや妊婦は足腰が弱く、ラッシュ車内で倒れる可能性が一般の人より高いから、いわば危険予防の意味で座席に"退避"してもらうべきだという発想は、個人的な善意のやわらかな選択性から一歩進んで、自身の安全確保という意識を経由して、公共空間の保安という社会的な意味を帯び、その論理は乗客をして「遂行しなければならない」という義務感すらもたらしうるかもしれません。他人同士の喧嘩であれば誰もが無視しようとするけれども、自分たちに累が及びそうであれば誰もが警察に通報しようとするように。
ここで問題になってくるのは、どのような手段で、車内でお年寄りや妊婦に立たせておくことがいかに危険であるか、自分に累が及ぶ可能性があるということを、人々に(特に座席に座っている)実感として思い知らせるかということです。まあ手っ取り早い方法は、席を譲らせたいなと思う人の前で、周りからの重圧に無理に逆らわず倒れかかってみるとか、大きな揺れに思わず服や髪を引っぱってみるとか。いやいや、ちょっと想像しただけでもエキサイティングですね。
つまるところ、大変な思いをしている人は無理をすることはないのです。大変を無理したら、もっと大変なことになります。大変なら大変だと、遠慮せず素直に行動や反動で示すべきなのです(それが出来ないからお年寄りも妊婦も困っていて、文句を投稿するわけではありますが……)。
それにしても興味深いのは、朝の通勤時間だと、目の前に誰が立とうが席を譲る気がほとんど起こらないということです。朝から席にありつけるという幸運を手にした僕も、きっとそうだろうと容易に想像がつくのも、考えてみれば不思議なもの(帰宅途中の夕刻以降であれば案外気安く譲れるものですが)。どうしてなんでしょうね。僕が思うに、「朝は誰もが元気なはず」という思い込みがあって、全ての乗客が同じ条件なのだから、座席先取主義かつ譲る必要はないという認識が生まれるからではないでしょうか。
そこでは、電車内のぎゅうぎゅう詰めに"立ち向かう"ことは、体力消費という面において、お年寄りや妊婦は一般の人より消耗率が大きいという当然の発想が、残念ながら欠けてしまっています。それはなぜか。ありていにいえば、人によって程度の差こそあれ、おしなべて朝はゆううつなものだから。ロールプレイングゲームなら宿屋に泊まればHPもMPも全回復するけれども、MPはそう単純には回復してくれない。そして朝「大変だから」というときの目的語は、HPではなくMPのほうなのです。
朝はゆううつで、ラッシュは壮絶で、誰もが弱っていて、ゆえにしかるべき配慮が自分の膝上にこぼれていく。「朝は誰もが元気なはず」という空ろな定義が自己弁護を補完する。お年寄りや妊婦にしたところで、そもそもMHPが低いうえにラッシュでの消耗が激しいこと、「立っているだけでも大変なのに……」という意味で精神の消耗についても一般の人より厳しいに違いないということもまた、自明なはずなのに。それに気づくくらいの意識は、ipodの曲順を考えることに費やされてしまっています。
見て見ぬ振りではない、見向きもしない。体を密着させている他人を意識しない振り(嘘)をするという、ラッシュ車内での適切な身の処し方(マナー)に慣れすぎて、もはや人物だろうが認識だろうが、何もかもを本当に意識しないでいられるようになってしまった、その"成果"であるといえるかもしれません。嘘から出た真、ああ怖い。
だから僕は妄想する(これしか取りえがない)。名うての企業広告屋か、大人気の芸能人がひとつ仕掛けて、たとえば吊り革に掴まることがエキサイティング&ワンダフルで若者の間で大流行、座席に座るなんていまどきダサいぜベイベーみたいな風潮を引き起こしてみる、とか。
そういうの、誰か叶えてくれませんか。