土曜の朝の電話世論調査

 土曜日の朝にTBSから電話が掛かってきた。何かと思えば、電話世論調査。20歳代、30歳代の男性の意見が不足しているんだとかで、30代男性である僕にお鉢が回ってきたのだという。
 どこで調べたのか、以前にもテレビ朝日から同様の電話があったので、きっと一度答えてしまうと、民放あるいは調査会社間で「こいつは回答してくれる30歳代男性」的情報が共有されるようになっているんだろう。
 それはまあいい。個人情報保護とは名ばかりの情報放逸化社会だ、クラスの女の子のスリーサイズが瞬時に調べられる早乙女好雄ばりのデータベース実現のためならば、僕のような屑の情報などどうぞ踏みつけていってください。
 それにしても、この電話による世論調査というのは非常に危うい。何より電話口だと、質問された内容について熟考することができないような雰囲気がある。
 僕がそもそも電話が嫌いなのは、沈黙することが気まずさとして感じられてしまうからだ。これが相手と直接会っているやりとりならば、状況や相手の表情によって、沈黙することが気まずさを伴わない場合がある。けれど電話口だと、沈黙することは、ダイレクトに居たたまれなさとなる。
 すぐに何も答えられないでいることが、相手の気分を害しているかもしれないという怖れとなって、名も知らぬ調査員の機嫌など気にすることないのに、どうしても気兼ねしてしまう。罪悪感を感じてしまう。
 そんな心理状態で、質問の仕方が項目選択式であることは、回答者にとって救いであると同時に、質問者にとっては回答を既定の方向に誘導しやすい。さらに、質問の内容自体が元々ある種のバイアスのかかったものであることが、誘導の度合いを強めてもいる。
 「安倍首相は選挙3日後になって赤城農相を辞任させました。この点について評価しますか。評価しませんか」と尋ねられて、「評価します」とはなかなか答えられないだろう。
 自民党が敗北した理由について。選挙結果を受けて安倍首相が続投するという点。民主党政権担当能力について。衆議院の総選挙はいつ頃が望ましいか、など。
 質問自体に安倍首相や現政権・政党に対するお決まりの批判・認識が明け透けなまでに織り交ぜられている。もちろん今回の参議院選挙や前回の衆議院選挙における僕個人の投票行動についてや、支持政党はどこ? といった簡易な項目もあったけれど。果敢にも選択肢を離れて「〜と僕は思います」と答えたところで、「それは項目で言うとどれですか?」と問い返されるのがオチ。
 週末の朝、のんびりと「BLUE DRAGON」を視聴している折りに不意に掛かってきた、前提として電話応対における先述の心理も割り増しされた、あまつさえテレビ局から! 過緊張に陥っても致し方ない状況において、僕個人の政治的な意見を、しかも選択式設問への回答として有意義に反映させるには、精神的にもコミュニケーション能力的にも(あるいは電話応対といった実際的なスキルについても)僕はあまりに未熟で、不能だ。
 未熟であるために、新聞で読んだ内容をそのまま答えるしかないというていたらくは、結局のところメディアの"独自調査"による記事で作り出された、「国民はこう思っている」という押し付け的な世論を、「まったくそのとおりだ」と追認しているただの馬鹿(都合の良い同調者)に過ぎないではないか。
 未熟であることを恥かしく思うが、しかしその未熟さにつけこんで、自分たちの主張を根拠あるものとするために、小心な一市民にお墨付きを強請するかのようなこのやり方は、少し卑怯だ。
 最近増えているインターネット調査は、電話での世論調査よりは心理的にずいぶん安定し、熟考もできるだろうから多少"まともに"回答できるのだろうか。しかし「調査に協力したい」という積極的な意思を持った回答者しか得られないという弊害はあるだろう。
 そもそも、準備して意識してきちんと答えられた調査結果より、準備できず意識も及ばずきちんと答えられなかった調査結果のほうが、世論の大部分を占める無意識の圧力を組成する要素に近いのかもしれない。
 答え(させられ)たことで、これが実は僕の意見なのだとフィードバックされるということもあるかもしれない。
 そういった意味でメディアの力は到底強大で、この"帝国"と対峙するのに、ただの一兵卒が批判精神を維持するのはどれほど困難なことだろう。そもそも僕の知り得ない情報をメディアは提供してくれるが、その得がたい情報は、いくら客観性を保持しようとも、メディア(記者)の視点・思想のフィルターを通して提供されているという事実は拭いようがなく、そうであるために、あらゆる情報には最初から、"とある意見"が分かち難く付随しているのだといえる。
 翻って、僕はずいぶん新聞の記事を鵜呑みにする。自分としては結構メディアリテラシーがあるつもりでいても、いざ政治的な意見を述べようとすると、あとでがっかりするほど新聞記事の内容のコピーでしかないことに気づかされる。
 重要なことは、メディアリテラシー(批判精神)を高めることか、自分が信じ依拠するメディアを慎重に選択することなのか――。
 来週からは少し意識しておくことにしよう、週末の、朝は。そして、意見を求められたときに、自分が納得できる意見を、いつでも明瞭に答えられるようになれればいいと思う。
 そのためには、そもそも質問されたときに「考える時間がない」と文句を言っているようではダメなのだ。普段から考えてなくちゃいけないんだ。つまるところ、そういうことなんだろうな。