NHK木曜時代劇「風の果て」

 僕にしては珍しく、NHKの木曜時代劇「風の果て」を毎週欠かさず見ています。
 山本耕史が出ていた前の時代劇とは一転して、活劇はほとんどないし可愛いお姉ちゃんもいない(もちろん幼女も)、出てくるのは年のいったおやじばかりという、地味で渋い時代劇。
 当初は困難な開墾に取り組む主人公のサクセスストーリー風なんだけど、ある程度の地位を得たとたん、お家の実力者争いに巻き込まれたり出世頭の友に裏切られたりと、ドロドロな展開へ。あくまですっきり楽しめる時代劇(チャンバラ)ではなく、真正面の人間ドラマ、そして身につまされるほどに重い――。
 僕は、このドラマに出てくる野瀬市之丞というキャラクターに惹かれます。彼は若い頃にとある事情で仲間の一人を手にかけ、それ以後陰惨な人生を歩むことになります。そして、死病に冒され余命いくばくもない彼は、友をおとしめ主席家老にまで上り詰めた主人公に果し合いを申し込む。
 出世欲と、優越感。憎しみ、妬み、あるいは後悔、友情。それらどうにもならない心情の葛藤を、かつての仲間たちそれぞれが抱えながら生きている。しかしそのうちのひとりである庄六は、一番貧しく地位も低くていかにもみすぼらしいのに、それを不幸とも思わず、毎日を懸命に生きています。
 果し合いを控えて野瀬は、庄六に会いに行き、そしてこう聞くのです。

「お前…自分のことが嫌になることはないのか」
「ない」
「偉いな」
「っはは、めずらしいな。お前が俺を褒めるか。ははははは」
「俺は、ずっと自分が嫌でな」
「確かに。野瀬は頭もいい、腕も立つ。この世に不足があるのは、当たり前だ」

 ――風の果て、尚(なお)、足(たる)を知らず
 若き日、野を駆け回る同輩であった5人の人生はあまりにも違え、重苦しく理不尽な運命によって刻まれてきたこの物語は。その果てにあって、主人公の心の内、夢という形を借りて若き日のままに再び対話をします。
 「貴様とて、立派なことはいえまい」
 自分が正しいと思い、ライバルが自分を蹴落とそうとするから打ち払ってきたまでだと思い続けてきた主人公は、若かりし頃の自分にそう非難される。まったくその通りだと、いっそ清々しい気持ちで主人公は、野瀬市之丞との果し合いに臨むのです。
 結局野瀬は主人公に倒されることになるのですが、友を殺めたことに対する贖罪であるかのようにおのれの人生を捨ててきた彼の生きざまは、その友を思うがゆえ、それと同じように他の友のことを大切に思うがゆえに、主人公を含めた仲間全員の影を一心に背負っていたのでした。
 彼はあまりにも友情に厚く、そして頭が良すぎた。そして、取って付けたような理由で果し合いに望み、友に敗れる、嫌な自分を負かすことでようやく彼は、自身をあるがまま受け入れることが叶うのではないでしょうか。そうして彼の虚しかった人生が報われるんだと、僕は思います。そう思いたいです。
 岩代太郎さんのさわやかでしなやかな音楽も素晴らしい。こういう内容の深い作品をさらりと放映してくれるNHKは、なんだかんだいっても日本が誇るべき公共放送だなあ。
 テレビは、目的がなくてもまず無意味にチャンネルを回さなければ良いプログラムには出会えない。ギャルゲーの主人公も、用がなくてもまず街に繰り出さなければかわいいヒロインには出会えない。うむ、実に僕らしいオチだ。
 ただまあ、CMばかり見せられる民放は無意味さが過大で辟易ですけど。