美坂栞の違和感と小西寛子

 アニメのほうの「KANON」を最近集中的に観ています。
 現在放映中の京アニ製「CLANNAD-クラナド-」がなかなか悪くなく、それではと「KANON」を観てみようと思った次第でありまして。「AIR」も途中までしか観ていないのでそのうちチェックしたいしようと思います。
 ただ、「AIR」アニメに関してはあまり気が進まないというのが本音。どうしてだろうね。
 それにしても、美坂栞の演技に感じられる違和感が気になります。
 佐藤朱という声優さんが演じているんですけど、僕がプレイしたドリームキャスト版では小西寛子が演じていたんですよね。とはいえもうかなり以前に彼女は引退していて、彼女の演技、というか声自体すっかり忘れているのに、美坂栞の演技を漠然と「その声ちょっと違う」と感じてしまう、そんな感覚だけが残っているという。なんとも"いかんともしがたい"状況。
 これはあれですね、先日書いた風子のことを忘れかけている春原の感覚と似たようなものかもしれません。
 元々「KANON」にしろ「ONE」にしろ、コンシューマーゲーム機で初めてプレイしたものですから、ヒロインの演技が、声優の演技としてすりこまれていいるんですよ。それだからなおのこと始末が悪い。小西寛子が演じる美坂栞はどんなだったか、いろいろ思い悩んでいるうち、小西寛子という声優を僕がいかに好きだったかということが、浮かび上がってきます。
 小西寛子というと、僕の中ではゲーム「みつめてナイト」ソフィア役。演技はまず下手で、歌も稚拙極まりなかったというのに、なぜか彼女が歌う関連ソングにずいぶん心酔していた覚えがあります。主題歌である「みつめて」や「明日があるから」など、か弱く儚げながら純粋に、かたくななまでに夢を信じていこうとする姿勢、それが、聞き苦しいのを恐れず精一杯伸びやかに歌う小西寛子の歌唱によって、実にまぶしく表現されていた。
 あるいは、今となってはえげつない手垢だらけのヒロイン性は、小西寛子が声優として出たてで真新しい印象だったということや、ギャルゲー作品、そのメディアミックス的な手法が発祥してまだ間もない頃でもあり、キャラクターソングに新鮮に感じ入ることができる時代だったのですよ。
 今思うと、幸せだったな。今はやたらひねくれていたり、複雑な設定を採用したりしてユーザーの心を映しておかないと、素直に彼らは受け取らない(と思われている)難儀な時代ですから。
 ――ああ、そうか。
 演技はよく思い出せなかったけど、歌名を聞けばすぐに思い出せるんだ。彼女の歌声を。僕は小西寛子のことを、声優としてより歌い手として覚えていたいと、思っているんですねえ。声優としてもあんがい、あの舌っ足らずな甘い声は悪くなかったんですけど。はて、なぜ引退したんだろう。
 彼女はいま、お元気なんでしょうか。年齢や出身地・出身学校的に親近感を抱いていた小西寛子さん、ただ、あのオリジナルアルバムは個人的に受け付けなかったですけどね。