新体操少女とチームワーク

“北京でメダル” 女子高生新体操チームの挑戦
 NHKの「特報首都圏」という番組。
 前回のアテネ五輪で出場を逃した日本新体操協会は、実績ではなく素質やスタイル、柔軟性などの潜在能力を備えた女子高生を全国から選抜し、結成したチームで北京五輪体操競技団体戦に出場する権利を得ました。
 そんな彼女たちは、共同生活を営みながら1日8時間にも及ぶ猛練習に取り組んでいて、この番組は、北京で開催された五輪前哨戦ともいえるプレ大会出場前後の生活に密着した、ちょっとしたドキュメンタリーですね。
 スタイルに優れた女子高生を全国から選抜、だなんていうからどんな美少女が集まってるのかとドキドキしてしまったけれど、実際は……。当たり前です、スタイルってそういう意味じゃない。
 真面目な意味で特に印象に残ったのが、そのプレ大会を、メンバー同士の連携が上手くいかず予選落ちしてしまった、その後の練習でした。指導に当たっている強化部長は彼女たちに、誰ひとりミスをせず完璧に演じ切ることを課します。ミスをしたら最初からやり直し、そういうルールですね。
 この手の取り組みはたいてい誰かしらミスをしてしまうもので、10回、20回とひたすら同じ演目を繰り返させられます。それでも彼女たちは、メンバーがミスをしても「気にしないで」「私も失敗したところだから」などと庇いあい、互いに思いやりながら取り組むんですね。
 それはとても微笑ましいシーンだけど、強化部長は彼女たちのそういった仲間意識が、競争心を鈍らせ、選手としての能力向上を阻害しているのではないかと考え、こういう練習方法を採ったのです。
 30回、40回。練習時間は5時間を越え、81回目の中断に及び、リーダー役の女の子がついに感情を爆発させます。どう言って注意をしたのかは忘れたけども、ただ、高まり過ぎて涙声となりながらも、然るべきことをたしなめていたという印象だけが残っています。
 その後も彼女たちの仲間意識の弊害をけん制するかのように、新たに有能な若手選手を加入させ9人で6人枠を競わせたりといった(出場選手5人+補欠1人)取り組みが紹介され、最後に担当アナウンサーが生で彼女たちに話を聞いて、番組は終了しました。
 チームワークというものは疑念の余地なく素晴らしいし、かけがえのないメンバーのために頑張ろうという心意気は感動的ですらあります。しかし仲間の失敗を、本人を思いやるばかりに不問にしたり庇いあったりすることは、今度は自分が失敗したときに「自分もそうしたのだから私だって…」と心の隅で甘えてしまうことに繋がりかねません。
 そのときの仲間意識はもはや積極的な意味を失くし、本来であれば当人が負うべき責任を、分散・拡散化させることでうやむやにしてしまおうという無責任集団に堕してしまっている。どんな集団であれ、誰かが失敗すれば確実に迷惑を被る誰かがいる。その事実をもたらした責任は誰でもない当人が負うべきもの。それはチームワーク以前の、1対1の人間関係における約束事なのです。
 とはいえ、責任を打ち鳴らす上司を疎外して互いに傷を舐め合う同僚意識、その格別なる居心地の良さは僕自身日頃から慣れ親しんでいるわけで、偉そうなこといえません。
 若き彼女たち日本新体操チームは、北京五輪メダル獲得という揺るぎなき目標を共有していたからこそ、悪しき仲間意識を打ち破る心の改革のきっかけをつかんだのでしょう。
 下手をすると僕の年齢の半分しかいかない彼女たちが、北京五輪メダル獲得に向けて見せる真剣さが、ただまぶしくて、「頑張れ」だなんてどの口が言えたものでしょうか。
 せめて怪我には気をつけてと、心の中で応援するくらいしか僕にはできません。
 ――それにしても、新体操。
 中学時代、同学年でかわいい女の子たちが示し合わせたかのように軒並み入部したのが、新体操部でした。
 いまだ幼い体のラインをくっきりと際立たせるレオタードに身を包んで体育館の隅で練習に励んでいる彼女たちのことが、男連中の話題にのぼらない日はありません。
 放課後、体育館の小窓から地べたを這うようにして覗いてみたり。僕自身も、体育館掃除の日はことさら熱心に取り組んでみたり、公的な活動の場所を何かしら理由をつけて体育館に申請してみたりなど、例外ではなかったわけですが。
 まあ僕が好きだったのは、彼女たちの中でも特に成長が早く胸の大きい女の子だったり、そうじゃなかったりしましたがね。わっはっはっ……って。何書いてるんだろう、僕は。