加藤博一氏死去

「スーパーカートリオ」加藤博一氏が死去 56歳、肺がん
 僕が今までの人生でプロ野球にいちばん熱中していたのは、小学生の頃のこと。なぜか当然のように大洋ホエールズファンで、同じく大洋ファンの友達と何度か横浜球場まで応援に行ったものです。そしてもっとも熱心に声援を送ったのが、加藤博一選手でした。
 撃ってよし、守ってよし走ってよしの三拍子揃った名選手で、とてもひょうきんな人柄が親しみやすく、おそらく大洋ファンの少年であれば誰もが彼を慕っていたといっても過言ではないでしょう。僕も例に漏れず、大好きでした。
 走はピカイチの屋敷要、走打のバランスがとれた加藤博一、打力に優れる高木豊で1-3番を組んだスーパーカートリオ、そして4番はポンセだったかしら、「なぜこれだけいいクリーンナップで負けてばかりなんだ」と、世の不条理に嘆いていたものです。
 加藤博一選手が登場すれば、「ひ〜ろ〜か〜ず〜〜〜」(ドンドンドンドン←メガホンを叩く音)コール。応援歌は「かっとば〜せかと かっとば〜せかと かっと〜ばぁ〜せかとおぉ〜」。単純でそれだけに熱い。時代が少し下り控え選手に回っても、"代打の切り札"として活躍されました。重要な場面で登場、そりゃもう「ひろかずコール」が熱を帯びるわけですよ。懐かしいなあ。
 まあ、当時は投手陣が慢性的にぱっとせず、さらにマシンガン打線が築かれる前ですから、チームが振るわなかったのも仕方なかったのかもしれませんが。負けてばかりだったからこそ、勝ったときの喜びはひとしお。9連敗したあとの1勝は、9連勝したあとの1勝に勝るものがあるのは真実でしょう。
 悔しい思いをたくさん味わってきたからこそ、貴重な勝利に際し頑張ってくれた選手によりいっそう愛着が湧くのです。
 どうせ応援するならダメなチームにしよう、と子ども心に思ったかどうかは定かではありませんが。選手全員が記載された下敷きをよく学校に持って行って、「屋敷は足はピカイチだけど打力がなあ」「遠藤以外に先発で頼れるピッチャーがなあ」と友達と他愛のない研究を重ね、当然のように全員の選手をそらんじることができました。今はもうプロ野球そのものに興味を失ってしまいましたけどね。
 そういう意味で、僕にとってプロ野球チームといえば大洋ホエールズで、プロ野球選手といえば加藤博一選手だといっても過言ではなくて。やっぱり言いすぎだとしても、僕にとっては間違いなく象徴的な存在なんです。
 それももう過去形で語らなくてはならなくなったのですね……。
 引退後、その楽しい人柄を生かして野球解説者やバラエティー番組にも出演していたのに、テレビ東京の旅番組にも出ていた気がするなあ。とても残念です。56歳ですか、早すぎですよ。
 心よりご冥福をお祈りいたします。小学生の僕にプロ野球の楽しみを与えてくれてどうもありがとうございました。