美味しいと、美味しくと

これで2480円(税込)。巻物がないと落ち着かないなあ……
 妹の旦那のご両親が赤ちゃんを見にウチへ来るというので、よーしお寿司をご馳走しちゃうぞ♪ということになりました。(「関係ないじゃん」選択の方はブラウザの「戻る」ボタンを押してね♪)
 割りあい近所にある高級回転寿司屋でテイクアウトをすることになったのですが。せっかくだからと、極上。特上じゃなく、特上よりも高級の極上を注文したんですね。――"とくじょう"を変換しようとしても"と苦情"としか出てこないよw 
 極上1人前、それがなんと約2500円、ど、どえりゃー高いです。ここまで贅沢しすぎるといっそ死亡フラグが立ちそうです。ああ僕、死んじゃうんだな……。
 しかしこれがまた旨いったらありゃしない。大トロはもちろん、ウニなんて、口に入れた瞬間今までの人生食してきたウニが走馬灯のようによみがえり、味覚イメージが脳裏の辺縁へ次々と消失。これは最早ウニなんかじゃない!海栗だ!!と、僕は心の中で叫んだものです。
 よくアニメとかである、料理を一口食べた瞬間奇想天外なリアクションを取るキャラクターの気持ちがちょっぴりわかりましたよ。まあ、それを実行に移すには南海トラフより浅い空想と現実の区別をつかなくしなければなりませんけど。
 殻付き一戸建てのたらばとか甘くすぎて頬っぺたが実際落ちたえんがわとかすごく厚くてマヨネーズを付けたらきっと不敬罪で逮捕される海老とかまるごと1匹たおやかに鎮座していらっしゃる穴子とか。「これは寿司の異次元空間じゃぁー!!」などとコメントの新機軸を打ち出したくなってしまうほど、美味しゅうございました。
 しあわせって、実在するんですね。
 しかし、こんなものばかり食べていたら人間がダメになると、本能みたいなどこかが僕に告げているのです。しあわせすぎて怖いって、こういう感覚のこと?
 昨日自分で作った親子丼のこと。
 めんつゆに酒・みりんを加えたお手軽丼つゆにたまねぎと、鳥モモは高かったからむね肉を入れて、卵を溶きいれて作った親子丼の、汁が少なくてご飯に味が染みきらなかったことと、丼に移すタイミングが少し遅れて卵が半熟じゃなくなってしまったことが悔しくて、次こそはもっと美味しく親子丼を作ってやるぞ、という思い(意地)のほうが、極上寿司を食べた感動よりも強いということを実感していたりもします。
 分相応、庶民感覚、貧乏性などと説明してしまえばわかりやすいんでしょうけど、食べるということに関して、人間をダメにすることなくしあわせになるためには、「美味しい」と「美味しく」、ついでに添えれば「美味しかった」をバランスよく向上させてゆくことが肝要なのかもなあと、いささか突拍子もなく考えたりしたのでした。