親子丼、うれしかった告白大作戦

 一昨日作ったときの材料がまだ残っていたので、夜食にという口実で親子丼をリベンジ調理してみました。
 結果は、イマイチ。前回少なかった汁は、今回多すぎてご飯がべちゃべちゃに。卵は半熟をキープできたけれど、かき混ぜすぎたのかぼろぼろに。ここまでくると、僕は料理のセンスというものが致命的に欠けているといわざるを得ません。
 しかしなぜここまで親子丼にこだわるのか。もちろん母娘丼というシチュに痺れる憧れるぅ的意味ではない(と信じたい)。
 先日妹の赤ん坊を見に産科医院へ行ったとき、面会時間前に到着しそうだったんで時間つぶしを兼ねてガソリンスタンドに寄って、その待合室のテレビで見かけた「噂の東京マガジン」内「やって!TRY」が影響してるという説が目下有望ではあるものの。
 根底には、かつて放映していたテレビCM、好きな男子が親子丼が好きと話しているのを学校で聞きつけた女の子が、母親に親子丼の作り方を教えてもらうという内容に、今思えば萌えという感覚を抱いたというのがあるのかもしれません。
 「どうして?」と母親に聞かれたときの女の子の、もじもじしたうつむきとか。「今晩はなんで親子丼なの?」と家族に聞かれた母親の、嬉しそうで困ったような表情が印象的で。つくづく三田佳子はいい女優だよなあ。ま、いい母親にはなれなかったみたいだけど。

 昨年末のこと、友人が昼休みの時間に私の職場へ来てくれた。しばらくロビーでおしゃべりした後、洋ナシをもらった。
 お礼のメールをしたところ、返信が届いた。
 「お昼休みに付き合ってもらって、うれしかった」
 「うれしかった」って何て温かい響きだろう。「ありがとう」と言われるよりもうれしくなる言葉があったんだ。私の方こそうれしくなった。
 年賀状では「お世話になりました」「本年もよろしく」と決まり文句を書き続けた。あいさつはコミュニケーションの原点。あいさつを欠かさないことは大事だけれど、自分の気持ちを伝える言葉は書いたっけ?
 新しい年が始まり、うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、今年も色々あるだろう。そんな時、自分の気持ちを素直に伝えることができたらいいな。
 できれば相手もうれしくなるような言葉を――。そんなことをふと思った。(読売新聞投稿欄)

 訪問して洋ナシ(用なし)を置いてくその方のセンスがまず可笑しいんですが。
 「ありがとう」って、ちょっとキレイゴトすぎると感じるときってありますよね。なんでもかんでも「ありがとう」を連発する人がたまにいるけど、それって「全てが自分中心」という感じがして、「貴方のためにしたことじゃない」と反発してしまいます。僕は人間が出来ていないもので。
 それとか、「ありがとうございました」は関係を問答無用に終了してしまえる必殺の言葉。いちいち対応が面倒な場合とか、少しの不自然さを自覚しながら無理矢理「本日は誠にありがとうございました」を捻じ込み、頭を深く下げてしまえば、よほどのことがない限り相手は引き下がります。これってすごい効果だと思うのですよ。
 「ありがとう」は世界平和に貢献する素敵な言葉だけれど、妙に自己主張が強く、ときにあつかましい気配を生じかねないことを考えると、「うれしかった」という言葉は実に謙虚だなあと思うのです。行為の主体が相手にあるんだという認識に揺るぎなく、その恩恵に浴することが叶ったという感謝を相手に律儀に伝える、そういうほがらかなイメージがありますよね。過去形なのもこの場合さわやかでポイント高いです。
 誰かに料理を作ってもらって、ご馳走になったときを考えると、感謝の言葉はまず「おいしかった」です。格別の事情がない限り「ありがとう」とは言いません。言えません、そんなの「自分は何様だよ」という気がしてしまうからです。
 自らの気持ちを素直に直接に相手へ伝えるための言葉に関して、僕らは意外と手持ちが少ないことを思い知らされます。ただでさえその感情はあいさつ言葉程度では容量しきれないはずなのに。
 あいさつ、気持ち、そして行為。
 先日日本人女性で初めて南極点に到達した続素美代さんのニュースで、NHKだったかな、本人に電話インタビューをしていて、解説者の男性が「次の目標はありますか?」と聞いたんです。この手の方には定番の質問だし、南極大陸の次だからきっと世界横断とか、ピレネー山脈(月)とかが挙がるに違いないと思っていたところへ、

 「そろそろ結婚とか、どうですか?」

と話すんですよ、無邪気にね。
 これには解説者も僕も思わず絶句。40歳のおばさんがいきなり何てこと言いやがるかなあ。
 この瞬間、南極大陸踏破という偉業がお茶目と化し、世界最強の花嫁修業、あるいはジェノサイド級の告白大作戦に思えてきます。
 少なくとも僕は惚れた。いや地球上の男性種であれば誰もが惚れざるをえないでしょう。「貴方を想ってした自慰より気持いいっ!」というヒロインの嬌声よりいっそ感動的です。
 なかなかどうして、感情なんてそもそも言葉などでおさまりがきくようなシロモノではなかったんですよね。わかりきっていたことです。ディスプレイばかり見ているから、僕はたまに忘れちゃっているみたいですけど。