日本国民の93%は貧乳萌え

おっぱいの小さい女の子、日ごろの愚痴とか一言どうぞ(from 怒濤のくるくるシアター。さん)

貧乳を恥ずかしがってるのが可愛い
のでやっぱり世間には貧乳を煽っていてほしい
貧乳万歳な世界にはけしてならないでほしい

 僕たちは、日本人としての文化・意識の内部に、謙虚さや奥ゆかしさを美と感じる機構があります。
 そして、女性とはスタイルが良い・胸が大きくなるほど謙虚さや奥ゆかしさを減じていく傾向があります。いつだって修学旅行の女湯で我が世の春を謳歌するのは、成長の早い女の子たち。そうでもない女の子たちは、胸を隠しながら隅のほうで体を洗っているものです。いや、覗いたことはないんですけどね。
 身体という、自分という存在にとって最も前提的な部分においてまず自信がもてるということは、なにより素晴らしいことだし、精神健康上もたいへん望ましい。その点、自分の身体にコンプレックスを抱いてしまうのは、本人にとってとてもつらいということは想像に難くありません。
 やまとなでしこ的な意味での謙虚さや奥ゆかしさは、今日ますます自信とプライドを積み上げ生き生きとしている彼女たちにとって、もはや演技でしか実現不可能だと言われていて、女性は永遠のヒロイン(女優)。男性の妄想を壊さないように立ち居振る舞いを偽装するのは、それほど難しいことではないのでしょう。
 とはいえ彼女たちのそれが本物ではないということは、理屈ではなくわかってしまうものです。しかしそれでもいいという、うその相塗り、共謀関係に今日の男女はあるのだといえます。
 成人式に女の子は和装で参加して欲しい。それが、これまでもそうだったし、これからだって全く着ることがないたった一度きり・レンタルの晴れ着、底の浅いコスプレでしかないということがわかっていても、「それはまがいものだ」を指弾する行為を違反と規定するルールに則って、僕らは日本という儀式を善しとして生きているわけです。
 彼女たち日々の見え透いた演技は、日本人としての文化・意識の内部に謙虚さや奥ゆかしさを美しい・魅力と感じる機構を、現代技術をもってすら取り外すことができないから、仕方なくまわりくどい経路になってしまうということでもあります。
 茶髪・ピアスに晴れ着姿という彼女たちと、それを許容する世間がそれを雄弁に物語っているといえるでしょう。日本文化に対する冒涜だと、言ってはいけない、言っても仕方ないという空気(規則)があるのです。
 しかし、そうであるからこそ、劣等感、引け目の裏返しとしての謙虚さ、自分がつらい思いをしているからこそ相手の痛みを思いやることができる奥ゆかしさを貧乳の女の子たちは体現していると主張したい。
 スタイルに自信がないという、自身(アイデンティティ)と精神の重要な部分を不安定にさせる境遇にあるからこそ、今日の女性においてもはや実現不可能であるそれら日本的な貴い性質を、本来的に備えてしまうことが叶ったといえるのです。
 本当であれば自分に自信を持って欲しい、女性としてのプライドをもって生き生きと過ごして欲しい。けれどそう願うこととは別に、いや分かち難く、まったくどしがたい話ではあるけれど、僕らは貧乳の女の子にどうしようもなく心惹かれてしまうんだと思うのです。
 彼女たちの見せる本心の恥じらいを美しいと感じてしまうのをどうすることもできないのです。
 読売新聞の調査によると、日本国民であることを誇りに思う人は93%に達するという。僕らが誇りに思うという意味で日本をイメージするとき、脳裏を占めている想像はなにか。それは謙虚さや奥ゆかしさを備えた女性だと指摘して、まっこうから反論できる諸兄はいないでしょう。
 それら日本人が誇りに思う美意識をうそ偽りでなく、真っ向から体現できるのは貧乳の女の子たちであるということが明白になった今、日本男児の93%が貧乳萌えもしくは潜在的にそうだと断定することは、もはや暴論ではありません。
 鎖国から解き放たれた日本が欧州で巨乳文化に遭遇し、不幸にも日本人はかけがえのない美意識を狂わされてしまった。美意識とは文化の根源であり、誇りだというのに。得体の知れないアイデンティティなどという概念を輸入し、民族としての誇りを捻じ曲げてまで欧米列強に追いつけ、打ち負かせとした末、無謀な戦争を引き起こし敗戦の憂き目にあってしまった。それは国民が国民としての美意識を見失っていたがゆえの当然の帰結なのです。
 巨乳の女性に着物など似合いはしない、似合うのは胸の薄い女性である。そもそも日本古来の服装がなぜそういう仕様だったのかということ。西洋文化を信奉していた僕らはそのことを見て見ぬ振りをしてきました。
 しかしすでに戦後60年以上が過ぎ、ましてや世界を席巻するグローバリゼーションとは、まず自分の国のことをよく知り、よく学び、揺るぎなき立脚点を確立した上で他国の文化を理解し、交渉に臨もうという姿勢。
 つまり、貧乳を愛して巨乳に感動することこそがグローバリセゼーションの要諦なのです。
 そろそろ僕らは、世界規模において祖国の素晴らしさを自信を持って主張していくために、日本の根本・文化・美意識を本当の意味で取り戻さなければなりません。そして、貧乳を恥らう乙女心をそこはかとなく愛でる心根こそ、日本人の魂です。
 魂とは自然であり、そして子々孫々へ連綿と受け継がれてゆくもの。
 だから僕は、僕らは誰もが本当はわかっているだろうことを何度でも断言するのです。
 日本の明日はぽっちだと――。