バレンテインデーの話<むかし>

小学生のころ、隣の席の女の子にもらったチョコに添えられた手紙に
「こんかいは義理だけど、来年はそうじゃないかもしれないから
かくごしとけよ!」 と書いてあって、女の子って同い年なのに
どうしてこうも大人びてるんだろう、と思ったものだ。(覚悟っ! from 壺コレ!!ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

 僕が小学生までを過ごした地域に、平屋の貸家が10件くらい集まっているエリアがありました。
 我が家はそこに住んでいたというわけでもないのに、いつの頃からか住人たちととても親しくしていて、正月になれば総出で餅つきをするのが恒例、それ以外にもバーベキューをしたり、団体で遊園地に行ったこともあったような。そういう自然発生的なお遊びサークルだったのです。
 ありていに言えば粗末な貸家ですから、お便所もまだ汲み取り式で、決して優雅な暮らし向きとはいえなかったのでしょうけど、ざっくばらんでべらんめぇな、気の置けない大人同士の楽しげなつきあい方が、子どもサイズに微笑ましく思っていたものです。
 お餅なんて、あの地域を離れて以来もう20年、「美味しい」だなんて本気で思ったことはありません。納豆餅は、勘弁だったけど。
 そして、そこに住む家族のひとつに、僕と同学年の女の子がいました。ちょうど学区の境界線で、通っている学校は違ったんですが。まあ特別かわいかったというわけではなくて、どちらかというとふくよかな感じの、いたって庶民的な(微妙にほめてません)、クラスの女子と話すときに抱く緊張感のようなものを抱かずに済む、そんな女の子でした。要するに親しかったのです。
 そういう意味で家族ぐるみのつきあいというのはやはり強力です。親同士が親しいと、子ども同士も親しくなることがごく自然のことのように感じられて、無理をするのは子どもはとても苦手ですから、どうしたって自然に親しくなってしまいます。
 彼女と遊んだことで今でも覚えているのは、一緒にファミコンの「マリオブラザーズ」をプレイしたことと、「りぼん」などの少女マンガ雑誌を読ませてもらったことです。彼女は上手かったなあ、僕のマリオを妨害するのが(協力して面を進めるということがまるでなかった……)。
 そんなこんなのとある春の日。
 いつものように彼女の家へ遊びに行ったら、既に用意してあった何かを僕にくれるというんです。それが何なのか彼女ははっきりとは言わない、白くてきれいな箱に入った何か。
 よくわからないんだけど、そんな彼女とともに過ごす空間はいつになく妙に落ち着かなかったので、遊ばないですぐ帰り、母親とその箱を開けてみると、中に入っていたのは手作りらしきチョコレートケーキでした。僕はそのとき初めて、バレンタインデーという、女の子から男の子にチョコレートを贈る日があるということを知ったのです。
 しかも驚いたことに、そのケーキの中央部分には白い文字で、

○○くん
だいすき

 と書かれているではありませんか!
 驚いた? うーん、僕はそのときどう感じたんだろう、今となってはよく覚えていません。覚えているのは、母親がすぐに電話をかけたことと、「他に適当な言葉が思い浮かばなかったんだって」と向こうの母親が話したと聞かされたことです。
 確かにケーキの中央部分はせまい、巧く書き入れられて10字程度でしょう。その制限文字内でバレンタインらしい言葉をと思ったとき、困ってしまうというのも頷ける話です。おそらく、フランス人があいさつぐらいの意味でキスするように、その「だいすき」は、バレンタインデーにのみ通用するあいさつぐらいの意味だったのでしょう。事実はきっとその程度です。
 そのあと遊びに行ったときも、彼女から直接「他に言葉が思いつかなかったから」とか、「深い意味はないから」と説明されたし、「ああ、そういうものなのかな」と納得して、特に深く考えはしなかったというのも、ガキ時分であれば致し方ないことでしょう。
 だけど今となっては思ってしまうんです、あのときなぜ妄想できなかったんだろうと。僕のためにチョコレートケーキを手作りしようと思いついてくれた時点で、中央に書き入れる言葉など問題にならないじゃないか。それに、「どういう意味?」と聞かれて、「こういう意味」と素直に答えられるほど、いまだ恋愛というものを意識できたりはしないということも。
 たしか小学3年生のときの話ですよ。本当にあの頃の女の子って、どうしてそんなアンバランスに大人びているんだろう。同じ少女マンガを読んでいたというのに、僕はただキャラクターの瞳に輝く星の数をかぞえていただけだったのだなあ。