失くした指輪を探しますか?

 パチンコ屋のCMで、女性客が店内で失くしてしまったという大切な指輪を、店員が外の置き場に保管されているいくつものゴミ袋をひっくり返して見つけ出すという内容のものがあります。
 確かに善い心がけだとは思うけれど、誠実を持って客と相対する通常の客商売に携わっている人ならたいてい、そういう相談を受ければ、床に頬を押し付けて光物がないか目を凝らしてみたり、ゴミ箱やゴミ袋をひっくり返しもするものではなかろうかと、見るたび思うんですよ。
 当たり前だとはいわないけれど、大事な指輪を失くしてしまった、たぶんこの店にいたとき落としたようだとお客さんが訴えるのなら、それを聞いた本人のみならず、店員みんなに呼びかけて店内を隅から隅まで探し回るというようなことは、普通という"枠内"ギリギリで為されるんじゃないかと思うんですね。
 そんな、当たり前とは言わないけれど、まあ普通そうするよねというようなことを、為し遂げたのだと第三者に言って聞かせるのは、なんだか「自分は偉いんだ善い人間なんだ」とひけらしているみたいで、普通なら気恥ずかしくて控えてしまうもの。
 なのに、あまつさえCMとして製作し、恥かしげもなく放映しているものだからしっくりこないんですよ。それは、個人・企業という発想主体が異なるゆえなのかも知れませんけど。CMを見(せ)るのは個人だろうにね。
 それがたとえば、第三者のほうから「こういうことがあったんだって?」と尋ねられる機会を得て初めて、「そうなんですよー、見つかってよかったですよー」と、"えへへ"と照れ笑いするくらいがちょうどよい人間性
 そう思ってしまうから僕は、このCMを見ると、パチンコ店の店員というものはたいてい、客が「大事な指輪をこのお店で失くしたみたいなんです」と訴えても、めんどくさそうにゴミ箱の場所をあごで指し示すという程度の"心がけ"なんだけど、私たちが経営するパチンコ店は違うんですよ、誠心誠意お客様に尽くさせていただいているんですよということが言いたいように感じられて。
 それを僕は、「居心地が良さそうですね」と快く感じればいいのか、「頑張ってようやくその程度か、他の店は違うのか」と不安を覚えればいいのか、どう受け取ったらいいものやら困ってしまうんですよ。
 まあ、これは僕がうがちすぎなんでしょう。入ったことはないけれど、傍から見る限りパチンコ屋の店員さんはさわやかで礼儀正しそうです。
 それに引きかえ、生命保険会社のCMに、契約者宅に社員が訪れ若い夫婦との和やかな雰囲気のなか契約内容の確認しているというものがあって、いかにも「素晴らしく画期的なことをしている」という好感が持たれるよう演出された朗らかさが、実にいけすかなく、まったくもって不愉快ですよね。
 だってそれは当たり前のことでしょう。当たり前のことを今までしてこなかったんでしょう。どういう神経ですかね、本当に。
 保険金の不払い問題に付随してあれほどバッシングされた、「契約さえ取ってしまえば後はほったらかし」という顧客軽視の姿勢、暴かれた生命保険業界全体のていたらくを、逆手にとってイメージ戦略に利用しようというその安易で浅はかなセンスは、怒りを通り越して業界そのものの非人間性を予感させます。
 いのちというものを金銭で換算することを宿命づけられた営利企業とは、そういう風にならざるをえないものなんでしょうか。
 まあ、パチンコも生命保険も縁のない世捨て人な僕にとっては、ましてやそのCMなんて、どうでもいいことなんですけど。