「キレイなお姉さんは好きですか?」

中2息子 中3姉の入浴盗撮

 2か月ほど前、風呂の棚に仕掛けられたビデオカメラを姉が見つけ、弟を問いつめているところに私が帰宅しました。その時はきつくしかりました。言い訳のしようもなく息子は黙っていました。
 それ以来、姉は弟を見るたびに小さい声で「きもっ!」と言います。2人はしゃべりません。
 私は子どもたちにはこれまでどおり接しています。しかし、息子が盗撮をしようとしたのか、身内の裸で興奮する変態なのか、それとも、そういうことにとても興味のある年ごろでつい身近にあったビデオカメラを使ってみただけなのか、いろいろ考えて悩んでおります。
 この先、子どもたちそれぞれに、どう対応していけばいいのでしょう。夫には話していません。

 裸くらい見せてやれよ姉ちゃん。
 それは弟が実の姉にもかかわらずそうせざるをえないほど、女の子として魅力的だってことじゃない。ここはひとつ、「きもっ!」とか言ってないで自信を持って、姉としての器量を裸もろとも弟に示して欲しいものですね。
 ――以下は、姉というものをもったことのない僕が、資格なく根拠もなく思ったことです。不愉快に思われたら申し訳ありません。
 下の毛がはえ始め、精通を経て異性という存在に興味の芽生え始めた思春期という敷居の先。唐突に差し込んでくるまばゆい光に目が眩んでしまうように、クラスメイトの女子の着替えとか淡い胸のふくらみが気になって仕方がないお年頃に、家に帰ると彼女たちより成長の早い姉がいるというのは、正直堪らないことなんじゃないでしょうか。
 しかも年齢が1才しか違わないというのも辛い。仮にクラスメイトの女子が並カルビだとしたら、1才違いの姉は骨付きカルビ
 もし姉が高校生以上で弟との年齢が適切に離れていたら、彼女はステーキ。カルビとは全然違います。だから時間の流れや立ち位置が異なるということをごく自然に理解できるし、何より近づこうとしても近づけない。憧れという遠さは、異性としての感じ方もそれほど切羽詰ったものとはなりえないでしょう。
 もちろん、姉のほうから近づいてきたとあっては話は別ですがね。
 1才違いの姉というのは、弟にとって、ちょっと先を行くだけの近い存在。中学という時間も、クラスメイトの女子という立ち位置(距離感)ともほとんど同じで、しかもちょっと先を行くというその"ちょっと感"が、未だ世界の狭隘な弟にとっては重大で、経験したことのない蠱惑的な感覚をもたらす。
 それが日々の生活のなかでふと手を伸ばせばたやすく届いてしまうというのだから、弟の脳内でいったいどんな想像が日々生み出されているかだなんて、想像絶するものがあります。
 遠いはずのものが近い。どこかの店で財布が落ちているのを見つければ、届け出るだろうけど、自分の部屋に100万円の札束が落ちているのを見つけたら、僕ならきっと届け出ずに使っちゃうだろうなと思います。
 1才違いの姉がいるという事実と、経験したことのない強烈な感じ方、無知ゆえに歯止めのない想像力と、すべてをまぜこぜにした甘美に混沌とするまるごとの現象が、同じ屋根の下、壁を隔ててすぐ隣に"発生"し続けているという状況は、身内だから実の姉だからなどという干乾びた枷など軽く吹き飛ばすくらいの威力を持ち得るのではないかと思ってしまうのですよ。
 だから、弟は少なくとも"それほど"変態じゃない。むしろ健全でやさしいといってもいいくらいです。
 もし本当の意味で変態だというのなら、風呂の棚にビデオカメラを仕掛けるだなんてまどろっこしいことなどせずに、家族が寝静まった深夜、姉の部屋に忍び込んで彼女を襲うかいたずらでもすればいいという話になるわけで。
 これはもう、どう対応すればいいもなにも、弟が姉を異性として意識し興味をもってしまった以上、もはや叱ったり否定してみたところで消せるものではないし、その年齢では抑えることも難しいでしょう。姉がそれを気持ち悪く感じてしまうというのもまた致し方なく、まったくどうしようもない。
 「後々、きっと笑い話にできる」だなんてありえません。そもそも自分を盗撮しようとした弟を姉が「きもっ!」と感じなくなるわけないじゃないですか。その上で親が笑い話にできるとしたら、それは軽蔑すべきお気楽さ。
 何らかのドラマティックを経て相思相愛に至るでもなければ、この姉弟の仲はもう修復することはできないんじゃないかと思うくらいです。
 結局この問題は生理的な領域ですからね。姉弟仲に関しては無理に介入したりせず、あきらめの境地で。姉が高校進学を機に自発的に実家を出て行くでもなければ、じっくり話を聞くなり、ふたりが独り立ちするまでの当面"やりくり"していくしかないでしょうなあ。
 姉からは昵懇な相談を。
 弟には決して叱ったりせず、正直な気持ちを話せるような雰囲気を作りながら、彼の性的な関心をやわらかく受け止め、外の世界に向けさせるような試みが"姉離れ"のきっかけにになってくると思いますね。
 その役割は本来父親が担うものです。しょせん男のエロ心は男にしかわからないのだから。エロ本やエロビデオを一緒に見たり、街で「おっ、あの子かわいくね?」「えー、オレはあっちの子がいいなー」みたいな軽口を叩けるような関係になれたとき、その他愛ない文脈上で、
 「そういやお前、姉ちゃんの裸を撮ろうしようとしたんだって? お前ヘンタイだなあ。まあ確かに、あいつは母ちゃんに似てかわいいけどさあ」というテンションで取り上げる。
 僕はこういう、息子の行いに同性としてそこはかとない理解を示しつつ、「でもそれはちょっと不味いことだぞ?」という注意を主にしぐさや態度で伝えようとするスタンスが、反発されてなんぼの親子コミュニケーションにおいては効果的で、大切なんじゃないかなと思います。
 ――「キレイなお姉さんは好きですか?」
 いかんともしがたい彼が内面の痛切なる問いかけに、「好きですよ」と近しい誰かに同意してもらうことでようやく、この中2弟の思春期は、立ちどまって空を見上げまばゆい光を直視していたのをやめて、とりあえず前に向き直って歩き始めるのではないかと思うのですよ。