化粧するみたいに書いている

 何日か前に書いた誰の未来のための卒業文集に関連して。

冗談とか思い出てのは、談笑できるからこそ価値があるわけで、言葉のナイフで人を殺してしまっては、正に冗談にもならないのです。(from NyaA-Blog さん)

 僕の書くテキストがしょせんキレイゴトに過ぎないんだとつくづく思い知らせれるのは、こういうときです。脳内じゃない、今を生きているんだ(僕以外の人は)ということを失念している。ああ恥かしい、またやっちゃったよ……。
 本当に炊飯にゃあさんの言われているとおりで、卒業文集を肴に談笑できる未来が予測できたとしても、あくまでそれは可能性の話。それに引き替え今傷ついていること、死んでしまいたいくらい辛いと感じるているのは百パーセントの事実であって。
 その残酷な現実を前にしては、誓いも担保も救いになりようがないし、そういう甘っちょろい発想が出てくること自体、自分とは関係のない他人事な子どもたちの世界、なんとなく"料理しやすい"ネタとして認識し、思想の端にも乗らない小手先で書いたものなど、見目麗しい包装紙でラッピングした無責任に他ならないんですよね。
 後から言われてみれば、わかっていた気がする。けれどテキストを書いているときは、そのことを忘れてしまっている。僕の悪い癖です。
 というか、癖っていうレベルじゃなく、いつぞや非難されたように現実を真剣に生きてないから、こういう浮ついたことしか書けないんでしょう。そうして生きている人からすれば、僕の書くテキストはさぞや気に障るものなんでしょう。本当に申し訳ございません。
 ――いったい僕は何者なんだろうね。などと、どこぞの宇宙の気弱な伯爵閣下みたいなことを言ってお茶を濁してみる。とはいえ伯爵殿下より僕のほうがよっぽdああもううだうだ卑下するの禁止っ!