どんぶりモノの美学と、松屋の配慮

 久しぶりに松屋に食べに行ったんです。
 吉野家の二番煎じなのか、たまたま新生活応援キャンペーン期間中で牛丼が安くなっていたので、牛丼を注文。出来上がるのを待つ数十秒、なんとなく店内のポスターを見回していて知ったんですが。
 松屋ではどんぶりモノをテイクアウトすると、具とご飯を別々にパックしてくれるらしいんですよ。
 そんなの大したことでもないと思われるかもしれませんが、個人的にこれはナイスなサービス。実に気が利いています。
 吉野家で牛丼や豚丼をテイクアウトすると、ご飯に盛った状態でパックしてくれるじゃないですか。それが普通だとは思うんですけど、でもそれだと家に帰って食べる頃になると、具のつゆがご飯に完全に染みてしまっているんですよね。
 冷めた具、もうまったく残っていない汁、茶色くなった白米。今さら言うのもなんですが、これじゃあまり美味しくありません。少なくとも僕は好きじゃない。レンジで温めても汁はもう戻らないし、まさに覆水盆に返らず。
 牛丼であれなんであれ、どんぶりモノなら出来たてを食べなきゃならんと思うわけです。具の汁をご飯が吸い切らない、底のほうの汁たまりに白米が浮かんでいられるうちに"ガッガッ"とかっ食らうのが正当な食べ方であって。それは出来たて・盛りたてでなければ実現不可能なのです。
 ゆえに、残念ながらテイクアウトはそのありよう自体がどんぶりモノの美学に対する冒涜になっている。店内で食べたときの直入の美味しさをテイクアウトで味わうことは不可能なのだと、とうにあきらめていたところ。この松屋のサービスを知り、心からの賛辞を送りたくなったのです。
 誰か客が文句を言ったのだろうけど、よくぞ取り組んでくれたと。
 まあ、盛りたてを食べたいのなら牛皿・豚皿だけテイクアウトして、ご飯は家で用意すればいいんだけど。それは面倒だし必ずしも自宅で食べるとは限らない。そういう技術的(?)な問題ではなく、どんぶりメニューをテイクアウトでも美味しく食べてもらいたいという松屋の配慮が、僕はうれしいんですよ。
 パックに分けられたご飯をレンジで温めて、ちゃんとした器に移す。次に具のパックを温め、慎重にご飯に載せて、最後に「つゆだく用」のつゆ(携帯用醤油入れみたいな容器に入っている)をふりかける。これぞ僕が夢にまで見たどんぶりモノノテイクアウトの最上級のカタチ。もうちょっと、あと少しだっ!
 ただね、残念ながら――。
 僕は松屋の牛丼・豚丼をそんなに美味しいと思うないんですよ。まことに遺憾なことながら。
 僕の中のランキングでは、
 吉野家=美味しい
 松屋=そんなに美味しくはない
 すき家=不味い
 こんな感じ。吉野家と比べると松屋は、どうも粗雑というか、無粋というか、品がないんですよね。なんか野暮ったい紅しょうがとか、どぎついだけの七味とうがらしとか――。お味噌汁が無料でつくというアドバンテージも、最近ではそれほど魅力を感じなくなってきています。
 ましてやテイクアウトだとその味噌汁が(無料では)付かないということもあり、そういったありがたい配慮をもってしても、松屋でテイクアウトしようなど思ってもみない、想像すらできないことだという認識を改めるまでにはいかないというのが、かなしいところです。