参列させないのは入学式か、卒業式か

□授業料滞納6億 教育上よくない(読売新聞投稿欄)

(前略)低所得家庭への配慮があるのは当然ですが、払えるのに払わないなどもってのほか。ある程度の期限をきっちりと定めて退学にするべきです。
 最も生徒を傷つけているのは授業料を払わない保護者自身ではありませんか。切符を買わなければ電車に乗れないし、食事をしてお金を払わなければ警察に通報されるのです。
 へりくつを述べて、払うべきものを払わなくても罰則を受けずにいられるなど、教育上、最も良くない事例です。子どもに見せてはいけないと思います。

 親が入学金を納めなかったがために、高校がその生徒を入学式に出席させなかったという事例が最近ありました。
 入学金の納付について分割ができるなど保護者に事前説明をしたということだし、授業料滞納が目立つなか、けじめをつけるという高校側の意図は理解できなくもありません。しかしこの場合、高校側の意図も保護者側の事情も、生徒個人にとってはどうしようもないことであり、関係のない話でもあり、にもかかわらず入学式に参列できなかったのは生徒自身なんです。
 そして、学校とは誰のための施設なのかといえば、教職員が自らの教育理念を実践するための研究施設ではなく、一般常識の欠けた保護者を再教育しなおす矯正施設でもなく、まさしく生徒自身が教育を受けるための施設でしょう。なのに、まるで学校側が生徒を人質に取ってその保護者に入学金と態度の是正を要求しているかのような今回の騒動は、まるでそうとは思えないがゆえに、なんとも胸くそが悪い。
 まず何より、生徒は自らが努力の成果として入学試験をパスしてきたわけですから、高校は義務教育ではない云々ではなく、生徒個人としては完全に入学式に参列する権利を得ているのです。それは何人にも阻まれてはならない。努力は報われる、結果は尊重される、それを否定しておいて何が教育でしょう。
 にもかかわらずですよ。彼ら・彼女ら本人が不始末を起こしたというのならまだしも、そうではない、生徒自身にはどうにもならない理由によって拒まれたのだとしたら、それは理不尽以外の何者でもありません。
 入学式には参列させなかったけれどそれ以外は通常に登校も授業参加も認めるという。それにしたって、入学式に参加できなかったのは保護者が入学金を支払わなかったからだという認識が学校中に広まってしまえば、本来ごく自然に結ばれるべき級友たちとの友誼にいくらかのハンディを負うことになり、それは不幸以外の何者でもありません。
 もちろん、そのハンディを逆手にとって、「俺はあの有名な〜」と前向きに開き直ってむしろたくさんの友だちを得る機会とするかもしれませんよ。でもそれこそ彼ら・彼女ら自身の努力によるもの。学校側にも保護者にも関係のない話です。
 今回の騒動は、学校側がどんなへりくつを捏ねようと、生徒の気持ちを顧みず"みせしめ"にしているということに変わりはありません。その上で、それを承知のうえでなおへりくつを捏ねたいとおっしゃるのなら、どうぞご自由にとしかいいようがありません。
 ――小中学校において給食費を支払わない親が増えているという問題と、高校において入学金や授業料を納めない親が増えているという問題の、各々の対処方法は異なります。小中学校は義務教育であり、給食もまた教育の一環であることから、"教材費"ともいうべき給食費は、税金収納と同レベルの強制力で集金するべきです。
 それに対して、高校は義務教育ではないのだから、入学金や授業料を強制的に、ましてや集金のためだけに特別の予算を計上し専門の業者に委託するというようなことまでする必要はありません。
 規定の金額を納めないならば、卒業させなければいいのですから。
 授業料全額を卒業前最終期日までに耳をそろえて納めなければ、卒業資格は与えません。高校卒業資格がなければ大学には進学できないし、就職についても同様でしょう。授業料等を納めなくてもクラス単位の教育活動であれば暫定的に参加を認めるけれど、個別的な対応を必要とする事柄については参加できませんよ、そう予告し、併せてクレジットカードでの支払い方法や分割納付のための教育ローンを紹介すればいい。
 そうまでしても、経済的にそれほど困窮しているのでない保護者が規定の金額を払わないというのなら、親の不始末で生徒本人が実際上の不利益を被らないためにも、個別相談かあるいは本人の申し出によって、生徒個人に支払ってもらうようにする。放課後か休日、学業に差し障らない程度の時間、就業体験を兼ねて地元商店街の理解ある商店にアルバイトとして働いてもらうんです。もちろん学校側の付かず離れずの指導監督の下で。
 これは現実的であると同時に、教育的にも意味のある対応だと考えるんですが、どうでしょう。義務教育ではないということを、学校側や保護者が責任として押し付けあうのではなく、まず生徒自身が権利として認識し、責任を持って行動できるようにするということが、彼ら・彼女らにとっては何より、理不尽な事柄による被害を予防することに繋がるのではないかなと思うのです。
 お金によって成る現実、費用をもって成る社会というものを"やんわり"と見据えながら、日々勉学に勤しむ。これこそ、義務教育ではない教育施設での教育のありようではないですかね。