別れの挨拶

 読売新聞の6/27付朝刊くらし面の読者投稿コーナーに、「息子の彼女から別れ際にお礼」という話が載っていました。
 投稿者の息子と付き合っていた娘さんが、その息子と別れることになり、それまで母親(投稿者)によくしてもらったことを電話で(その母親に)感謝してきたという話で、最後の
 <なんで、こんないい子と別れたのよ。このバカ息子!>
 という母親の心の声が、しっとりとした笑いを誘います。梅雨の合間に訪れるさわやかな晴天のような味わいでした。
 考えてみれば、付き合っていた当人同士は、別れても、それぞれの思い出として相手のことを覚え続けられるでしょうが、その親はまず忘れるでしょう。自分の大切な息子や娘を拒絶した相手をそういつまでも記憶しておいてあげられるほど、親の愛は博愛的なものではないでしょうから。
 本当は、別れの挨拶が求められるのは、時が経てば忘れてしまうと思われる関係者間においてなのではないかな、と思います。「そのうちアンタのこと忘れちゃうと思うけど、まぁ許しておくれね」という弁解というか告知が、別れの挨拶。
 「別れの言葉は言わないよ、だってまた会えるんだから……」というきざなセリフをよくドラマとかで聞くけれど、それは本当に別れの挨拶を必要としない間柄なのですよ。
 「いつか会える」と信じられるということは、いつまでも、その相手の存在を自分の心の内で感じていられることの確信であるはずだから、相手はそうして自分に住まい続けていくわけですから、物理的に会えようが会えまいが、別れの言葉はまったく必要ないのです。意味がないのです。
 翻って、世の中、本当に別れの挨拶をしなければらない時や、相手にこそ、むしろ別れの挨拶ができていないような気がします。
 辞世の句を残して死んだ歴史上の戦国武将とか、死に際に感動的な言葉を残すドラマ上の俳優とかのように、死という最高級の別れのシーンで美しくカッコよくキメたいだなんて大それた願望を抱くのではなく、「あのー、あのー」と、件の彼女が電話口で言いよどんだように、恥ずかしかったり、世間一般の感覚からすると妙な状況であったとしても、本当に別れの挨拶をしなければらない時や、相手には、きちんと別れの挨拶ができる人間になりたいものだなあと、僕は思いました。
 ただ、人と別れるには、まず人と出会わなければなりません……。うぬぬ、それが実は月森さんにとって最大の問題なのであった……。