ゆっくり走れば追いつかない
たまたま、近所に早朝から営業している書店を見つけたので、夜勤明けに寄ってみました。
決して繁華街というわけではない、古ぼけた店構えの個人書店。もちろん客はひとりもいません。
とりあえず週刊誌でも買おうとしたら、レジで帳面をチェックしていた店主らしきおじいさんが、「こんな朝早くにありがとう」と、お釣りといっしょに飴をくれたんです。
イチゴ味の子どもっぽい飴なのに、くたびれた頭が妙に感激してしまって、「この書店は応援しなくてはなるまいな!」と、ゴガガガガッみたいな擬音をともなって決意したという次第。さようならamazon。まあ本なんて滅多に買わないんだけどね。
こういう思いがけない人間的な思いやりに触れると、僕の琴線は容易に響く。誰でもそうだと思うけれど、日ごろ人とあまりやりとりしない生活を送っているからヤケにね。
店員やレジの人なんて、手際が悪くてムカつくかやけに丁寧でじれったいかのどれかだったけど、そもそも僕が急ぎすぎていたのかもしれません。時間の進み方は決して一様ではないと、開店50年になるというこの書店と知り合って思ったのでした。
職場が自宅から遠く、公共交通機関も不便であるため、毎朝の通勤は高速道路を利用している。
朝は時間がなくなることが多く、今までやや飛ばし気味の運転だったが、ある日時間にゆとりがあったので少しゆっくり走ってみた。するとうそのように車がいないのに気付いた。
それまでは、走っているうちに前の車に追いついてしまい、煩わしい思いをよくしていたが、ゆっくり走れば前の車に追いつかない。それで自分のペースでゆったり走ることができる。(略)
スピードを上げて運転していたころは疲れて途中で一休みしたものだが、今やその心配もない。今後も「ゆっくり運転」でゆとりを楽しみたい。(2/5付読売新聞)
猛スピードで追い抜いていった車が、すぐ先の信号で足止めを食らっていて、こっちがゆっくり交差点に着いた途端信号が青に変わったりすると、したたかに小気味良いですよねー。