ご都合的な善、混迷する悪

□ 同級生の全裸写真撮影、サイト投稿 容疑の高校生ら4人逮捕

 県警少年捜査課は18日、いずれも横浜市内の県立高校1年の男子生徒ら4人(いずれも16歳)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童ポルノ製造、公然陳列)などの疑いで逮捕したと発表した。
 調べによると、男子生徒ら3人は昨年11月1日、このうち1人の自宅に同級生だった無職少女(16)を呼び出し、全裸の写真を携帯電話で撮影した疑い。また、別の男子生徒は、校内に出回っていたこの写真を入手し、携帯電話の無料掲示板サイトに投稿し、陳列した疑い。
 撮影した男子生徒の1人が当時、少女と交際しており、全裸撮影させられた。一方、掲示板サイトに投稿した男子生徒は以前、少女と交際した経験があり、「なぜ撮らせたのか。許せないと思った」と供述しているという。
 少女は全裸の画像が校内に広まったため、男子生徒らと同じ県立高校を自主退学した。(2/19付読売新聞)

 おたく少年が猟奇的な事件を引き起こすとたいてい、ワイドショーのコメンテーターは「現実と空想の区別がつかなくなっていた」と発言するものですが、そのときの彼らの価値基準は、相対的に現実は善で、空想が悪となっています。しかし僕は最近よく思うのです、空想はむしろロジック(ご都合的な善)であり、現実こそカオス(混迷する悪)だと。
 空想がロジックだと言われると奇妙な感じがするかもしれませんが、二次元キャラクター文化を想定していえば、萌え線やシチュエーション、お約束などと言い表わされる数々のルールに則ったうえで、秩序をもって"ご都合"を組み立てていくことで構成される世界あるいは物語、それはある種のロジックといってよいと思います。
 それに比べて現実とはかくも不気味で、理不尽なるもの。もちろん悪質で卑劣な人のありさまは空想でもよく描写されますが、空想における悪は明瞭な目的や存在意義を持って(持たされて)いるから、おかしな話ですが、ユーザーは安心してその"人でなし"っぷりを鑑賞することができます。作品というハードウェアにとって、全てのファクターは、趣向を凝らして作製されたその機構を駆動させる善でしかありえないともいえます。
 しかしこの事件にいう元彼・今彼の為したことは、いったい何なのか。
 つきあっている少女の裸を別の男に撮影させる彼氏の心情がまず理解できないし、その画像が同級生間に出回り、あまつさえその画像を入手した元彼が「なぜ撮らせたのか、許せない」からといって画像掲示板に投稿、というのも脈絡がありません。
 結局少女は自主退学を余儀なくされ。そりゃあ自身の全裸写真が出回っている学校になんて、もういられないでしょうよ……。
 それらの経緯がまるで救いがないとか、善し悪しでもなく(間違いなく悪ですが)意味がまったく分からないということが、とても不気味で、とてもおそろしい。まるで暗闇の中でヘンな匂いのする風に当たっているかのような、なんか体に悪そうだけど息をしないわけにもいかないし――というような不安といえばいいでしょうか。
 こういった事件に嗅ぎ取れる、はなはだ理解不能で、意味も目的も容易に見出せない犯罪行為に及んでしまう当人たちの心に淀んでいる、「混迷する悪意」は、もしかしたら、人類を「あれー?」などと間抜けな感嘆詞もろとも滅ぼし去ってしまう滑稽な実質となって、しだいに世の中を覆ってゆくようになるのではないか、という予感すら覚えます。
 昔に読んだあるポルノ小説に、こういうものがありました。
 山間の別荘地に夏休みのあいだ避暑に来ていた少女が、近くの山林をひとり歩いているところを知らない男に襲われ、睡眠薬を飲まされ昏倒しているうちに、近くのログハウスへ連れ込まれそこでレイプされてしまいます。その様子を撮影もしてした男は、夏休みが明けた彼女に対し、「この映像を学校中にばらまかれたくなかったら――」と脅迫をし始めるのです。
 その内容とははたして、「ノーブラ・ノーパンで学校に行け」だの、明らかに身の丈にあわない小さい体操着を送り付け「これを着て1日を過ごせ」だの、なんともガキっぽいもので。僕はここらへんまで読み進めてさすがにくだらなくなり本を戻してしまったので(立ち読み)、その後どう物語が展開するのかは知らないんですが。まあ想像がつくような気もします。
 女の子の全裸を写した写真とは、はたしてコレクションになるものなんでしょうか。コアノベルズから出ている「クラスメイト」というエロ小説には、男の子女の子構わず同級生の性器を携帯に撮ってコレクションにし、女の子たちがよってたかって男の子の性器を撮ったり、気の合う友人に転送したりというような描写がありましたが(これも立ち読み)、生身を離れた写真としての少女の裸体ましてや性器なんて、グロ画像以外の何者でもないと僕は思ってしまいます。まあ、思うことと感じることはこの件に限っては別問題だし、他人の趣味をとやかく言うだなんて野暮ですが。
 少なくとも僕のなかでは、女の子の全裸写真など脅迫のためのネタとしか考えられなくて、自分の裸を自分で写真に撮って彼氏の携帯に転送する女の子は、自分で弾丸を込めた拳銃を相手に手渡しているようなもの。あんた殺されたいのかと。
 そして、効率性や実利追求が極まった結果なのか、それともただの馬鹿なのか。脅すためではなく、殺傷するための道具として拳銃は俄かに発砲される。目的のあるタメも、意味のある躊躇もなく。そこに浮かび上がってくるのが「混迷する悪」です。
 「クラスメイト」に出てくるボス格の女の子は、クラスメイトを律するのにそのコレクションを利用したりもするけれど、クラス外の人間や先生に転送するようなことは決してしないし、男子の性器はほとんどコレクションしているのに、気になっている男子の性器を撮影しようとはしないというねじれた純情さえ見せています。
 それが、ご都合的な善。
 いずれにせよ悪いことには変わりないのだけれど、どうせ殺されるのなら目的を持った相手に意味のある死をたまわりたい、とせめて願ってしまうのは、知性と、自我を持った人としてごく自然な心情なのだとして、それが薄ら笑いとともに明明裏切られる今日、人々が空想にばかり走ってしまうのも致し方ないことなのかもしれません。
 おべんちゃらながらこころよい気分を空想で補充し、理解不能で理不尽な現実をするりと生き抜いていく。目的とは、意味とは、しょせん僕らが空想上にでっちあげた"たてもの"でしかないんですから。