「う、産まれるぅ」

 「産気づいたよ」と、90歳の父が言った。
 「誰が?」と尋ねると、「オレが」という返事が返ってきたからのけぞった。
 「お父さん大変! じいちゃんが産気づいたって」。隣室にいた夫に大声で伝えると、夫と2人で大笑いになった。
 父はその間、キョトンとしたまま。認知症になった頭の中は外からはうかがい知れない。それまでは過去の経験からくる言葉が多かっただけに、今回は予想だにしない言葉に驚いた。
 おなかでも痛かったのだろうか。普段は返答に困ることが多いのだけど、今回は久しぶりに爆笑の大ヒットだった。
 納得しない様子の父をトイレに座らせると、用を足した。「ハイ、出産終わり!」と言うと、安心したのかベッドに横になった。
 あと10年は生きそうな父と、高血圧で腰痛の私。まだ長い付き合いになりそうだけど、神様はこんな日も作って下さるようだ。(読売新聞)

 僕が学生の頃。
 車の免許を取ったばかりの友達の運転で、特に目的地を定めず、週末の深夜から明け方にかけてよくドライブをしたものです。仲間内では「無茶ドライブ」と言って、「成田空港まで行って検問を受けよう」「箱根の山を越えよう」などと、確かに無茶だし馬鹿だったなあと、今思い出しても微笑ましい気持ちになります。
 その車内で、長時間車に乗っているわけですから車酔いしてしまう人が出てきます。吐きそうになると、誰が言い出したのかは忘れたけれど、
 「う、産まれるぅ」
 と呻くのがお約束でした。
 すると周りの僕らは、
 「奥さん、がんばって!」
 と励ましながらコンビニを探すわけです。この記事を読んで、そんなやりとりを思い出してしまいました。
 若いゆえか、それとも特にそうだったのか、本当に面白いやつらでした。今となってはもう結婚式でくらいでしか会う機会はないけれども。お腹がよじれるくらい笑ったというのは、あの頃初めて経験して、そしてそれが最後でした。
 無茶で、馬鹿で、大切な僕の思い出です。