エレメンタルジェレイド 第19話 石ころの想い

そもそもこのアニメは肝心な部分がすっぽり抜け落ちていて、僕のような汚れた人間にとってはむしろ落ち着かなくてしようがありません。ええ、書いてしまいますわよ、「エディルレイドと人間はSEXできるのか、子どもを作ることができるのか」ということです。
人間よりも寿命が長いらしく、かつて同年代であったはずの恋人が年老いて死んでもまだ10代のような若々しい容姿(というか子ども)を保っていたりするエディルレイド(長寿にも程がある)、しかもどの娘もスタイル抜群で、というかエディルレイドには女の子しかいないのでしょうか。物語に出てくるエディルレイドたちはみんな可愛い女の子ばかりです。
ですから、人間とリアクトすることで最強の武器になるとかそうゆう危なっかしい系ではなく、むしろごく妥当に風俗嬢あたりが相応しいのではないかと、それこそ矛を収めてベッド上で最強の××を目指すべきではないかと思わずにはいられないわけです。「戦いは何も生み出さないんだよっ!」
さて。第19話「石ころの想い」です。これまではクーばかりが(妄想上で)盛り上がり、レンはひたすら素っ気なかったというふたりの恋愛構図でしたが、アークエイルによって引き離され、(でもあっさりと)再会を果たしたあたりからレンはクーを意識するようになり、フィロというサブキャラ(恋のライバル)登場によってトントン拍子に展開。このお話ではついにクーとレンがをくちづけを交わし、奇しくもフィロが定義づけた"恋人"同士と成り果てました。
しかし、どうなんでしょうね。エディルレイドが人間との間に子どもをもうけることができるのなら、人間とエディルレイドを親にもつ"ハーフ"が登場し、人間とエディルレイド双方からの迫害を受けていたりする彼女を庇いながら、クーとレンは自分たちの境遇と重ね合わせて、人間とエディルレイドとの相違について思い悩むというようなエピソードがあってもいいような気がします。また子どもを作ることができないのなら、クーとレン、というよりエディルレイドと人間が互いに(恋愛的に)惹かれあうものなのかなという根本的な疑問もわいてきてしまいます。

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どんなに人間そっくりの外見であっても、それが"人間とは相容れない動物(存在)"であるのなら、愛着はもてても、対人のそれと同じような真剣な恋愛感情はやはり抱けないのではないのかなと僕は予感します。そのあたりは、僕が「My Merry May」「My Merry Maybe」の主人公に対して抱いているところの不審です。とはいえ、愛着をとことん突き詰めていけば、人はそれを恋愛と成すことができる気もしますけど。
しかしギャルゲーとは、プレイヤーが「君が好きだ」と表明しさえすれば、それがメイドロボだろうが犬娘だろうが幼女だろうが神様だろうが、その恋愛を問答無用で正義にすることができちゃうとんでもない素敵世界ですから。それはそれでいいんです。レプリスに恋心を抱くのは主人公である以前にプレイヤーであるのだし、翻って主人公君にその恋心の説明をくどくど求めるのはひどく筋違いで無粋なことのわけで。
"プレイヤーとしての"主人公が初めて恋愛をするフィクションがギャルゲーという物語、だからこそ前例や常識に縛られることなく、メイドロボだろうが犬娘だろうが幼女だろうが神様だろうがレプリスだろうが、ガンガン恋することができちゃうのです。*1

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だけどアニメは違うでしょ、というお話。もちろん、子どもができちゃうような行為に関わるシーンが出てくることは絶対ありえないから、そもそもそういう設定を決定し解説する必要もないんでしょうけどね。とはいえ、クーとレンのリアクトシーンでレンの手の動きが妙にエロかったりするのはなぜなんでしょう。(まぁ合体シーンがエロいのは古今東西の『お約束』なんでしょうけど)
まるでクーの背中に回っているレンが、わき腹から股間に手を伸ばして彼に射精を促しているような。エディルレイドと人間のリアクトを介したその戦闘形態(合体)というものが、そもそもあられもない性的なものに思えて仕方がないのですよ。武器としてのエディルレイドが円盤や鎖、風刃など飛び道具系主体であるのも意味深です。その点ラサティとリィリアの女の子ペアは格闘技主体で、飛び道具を"発射"することはなかった気が…。

 「レンさんっ!レンさんはクーさんのこと、好きなんですよね。なんていうか、もう、その、恋人とかになってるんですか?」
 「…どうなれば、恋人なの?」
 「それは、たとえば…キスするとか、なんか、その、そんなことで…」
 「…じゃあ、恋人じゃない」



社会的な意味での恋人である(になる)ための"形式"についてフィロに問い返しているレン。実はそもそもリアクト(同契)というものが性的関係をとうに内包している行為であって、キスという儀式を経ることによって"改めて"社会的な意味での恋人となっていくのではないかと。
月夜に照らされたふたり、重なり合うシルエット。浮かび上がる清純で初心で慎ましやかな若い恋人同士、暗喩としての肉体関係を覆い隠そうとしている、あるいは真新しい恋人という形式が(意味としての)実質と"融合"していく。武器としての合体が、触れ合う関係として"融合"していく。突拍子なさ全開ではあるけれど、幻想的で美しいこのシーンにはそんな奇妙な奇跡が潜んでいるのかもしれませんね。
既に「エディルレイドと人間はSEXできるのか」という話ではなく、リアクトすることでふたりがそれぞれ本来の形態(エディルレイド×プレジャー)としてひとつとなり、敵と戦うということそれ自体がSEX以外の何者でもなかったのです。クーとレンにとってはまさに、エッチ(H)のあとにアイ(I)がきた、とw
そう考えてみると、エディルレイドが同契(リアクト)できるのは特定の1人の人間とだけ、別の新しい人間をプレジャーとするためには既定のプレジャーを殺すしかない、というのはとても幸せなシステムですよね、プレジャーである男にとって。たとえばリアクトした彼女が自分ではない別の男を好きになり、彼とリアクト(SEX)したいと望むようになったとしても、自分は、彼女をその男に"寝取られる"心配をする必要がないわけです。なにしろ彼女がその男とSEXするときには、自分は既にこの世にいないのですから。
僕と彼女が恋人同士である間は、僕の命ある限り、"彼女は僕だけのもの"。それが真実であるシステムは、きっとすごく幸せなものなのでしょう。今更ながら「ファイブスター物語」のファティマを思い出してしまいました。何世代かにわたるプレジャーあるいはマスター遍歴が、彼女たちの精神になにがしかの蓄積をもたらすものなら、それは彼女たちにとって残酷極まりないことですけど。
しかし、人間と比べて恐ろしく長寿という性質を抱えながら、それでも人間を愛していくためには、その残酷さを自らの宿命として受け止めていかなければ、いや、受け止められるような精神をもたなければ、そもそも彼女たちは人間と本当の意味で恋愛はできないのではないのかな、とも思ってしまいます。
「心の痛みを知ったとき、彼女に恋が実装される」
それはそれとして、彼女たちの永いとき、その時々の気まぐれな愛着の対象となった人間が、それを勝手に恋だ愛だ思い込んでいるだけだというのなら、それは互いにとって幸せなことなのかもしれません。誰も真実を知らないけれども、嘘をついているわけではない世界。それは良くも悪くも"居心地が良い"世界に違いありませんから。

*1:結局、主人公をヘタレだなんだと非難してしまいたくなるのは、僕らプレイヤー自身が問答無用で正義にする腹づもりでいた事柄を、主人公君がわざわざ掘り返してきてあーだこーだと筋違いで無粋も甚だしいコトをやりやがってくれるから、なんでしょうねえ。